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2009年11月25日 (水)

“新しい公共”概念の無理解

■「事業仕分け」が流行語のようになっている今日この頃ですが、11月20日の基本計画市民分科会での「市民参加・協働」の制度設計議論を振り返ってみて、議論の追加をしなければならないと思い立ったのが“市民協働事業の仕分け”だ。そもそも「事務事業仕分け」も行政改革のための「行政評価」(元祖は平成8年、三重県)制度の一類型であり、すでに「事務事業評価」はほとんどの自治体の必須アイテムとなって久しい。

■我が狛江市でも5年前から試行を繰り返し、ようやく平成22年度からの基本計画に「施策評価」をリンクして自治体総合計画の進捗管理のツールとしたり、予算編成の基礎資料として「事務事業カルテ」を今年から作成したりしている。“切り札”の「構想日本」の事務事業仕分けも三多摩では町田市や小平市が実施しているが、それでは、そんな狛江市も町田市や小平市も大いに行政改革が進んでいると皆さん思いますか?

■元祖・行政評価の梅田次郎(元・三重県部長)さんは「行政評価は地方分権の道具、市民自治の仕掛け」と言っているが、そういう戦略的な理念(ビジョン)の裏づけなしに、自治体経営のツールだからとして物真似で「事務事業評価」や「事業仕分け」を実施しても役に立たない場合もある。やらないより市民に可視化される点でやった方が良いが、例えば町田市や他市の例でも「不要」や「民間」と烙印を押された事業も行政が継続させてしまうことも横行しているからである。

■その「仕分け」を協働事業に特化して実施したのが愛知県豊明市です。(平成20年)「協働推進計画」推進のための事業棚卸しとして総合計画444事業のすべてを対象に「協働できる事業か否かを仕分けしています。(結果はその内268事業が協働できる、176事業ができないという結果でした)これは大いに刺激的な「仕分け」ですよね。

■さて、狛江市の「協働事業」と言えば「水辺の楽校」や「むいから民家園」だったり、新しくは「地域ねこの会」「音楽の街事業」「絵手紙推進事業」などがシンボルであり、それら新しいニーズを発掘する「新しい風補助金」や「市民協働提案制度」などの仕掛けも一応用意されている。それはそれで新しい公共空間づくりの一面として結構。ただし豊明市(かっては志木市が「地方自立計画」(行政パートナー制で職員半減を示した)のような既存の行政サービスの仕分け(アウトソーシング)が遅々として進まないのは何故だろうか?

■前にも言ったが、「新しい公共づくり」とは肥大化した行政から(市民社会に)「公共を剥ぎ取る荒々しい道程」(富野暉一郎)なのであり、そもそも「狛江市参加・協働条例」の(行政自ら仕分けせず)「行政活動への参入機会の提供」(協働提案制度)という“上から目線”で役所の縄張りをなるべく犯されたくないという消極的な制度設計だから、NPO等市民公益活動の自立にも繋がらずほとんど見るべき成果を上げていないことの原因なのではないかという疑問がムクムクと頭をもたげてきました。

■その疑問の延長に、もう一つのそもそも論ですが、よく読んでみたら同条例の「市民協働」規定は「市民公益活動と市の共同」であり、従って「行政活動への参入」に元々民間企業の参入は想定されていないのです。さて、だいぶ疑問が解けてきました。我孫子市の「提案型公共サービス民営化制度」はこう述べています。

■「すべての公共サービスを行政が担うことは不可能になりました。公共の分野を行政が独占する、あるいは支配する、という時代は終わりました。公共サービスを担う民間企業が増加し、新たな公共の担い手として登場したNPOやボランティア、コミュニティビジネスなどの活躍も目覚しいものがあります。これらの民間の主体と行政が対等の立場で協働して、民と官でともに担う「新しい公共」を創ることが求められています。」(我孫子市HP)

■つまり、狛江市(条例)の語る「市民協働」は市民公益活動団体に特化された共同である。ところで検索してみてもそのように限定的(民間企業を排除)に「市民協働概念」を使っている自治体は見当たらない。なぜ市民と行政の協働が必要か?それは我孫子市が言うように「新しい公共(空間の再設計)」創造のためだからである。その戦略論無き「NPOボランティア推進条例」とでも言うべき狛江市市民参加・協働条例の全面書き換えが必要な所以である。

■もう一度27日(金)の分科会で基本構想にも書いた「新しい公共づくり」の概念とは何か?市民協働概念の見直しを含めて、仕切りなおしの議論が必要となってきた。時間がないのにどこまで迫れるか?トホホ・・・。

■それはそうと、今朝の朝日(武蔵野版)が狛江市の公共施設再編計画を伝えていますが、ここにも「仕分け」ができない市長の姿が見えています。折角、根本祐二東洋大教授ら検討委員会が一年をかけて、狛江市の財政規律を踏まえた「政策の優先劣後が必至」(安全子育てを地域戦略として優先)新図書館建設(30億円)の凍結や公民館(一部)廃止と有効活用など、大胆に切り分けて答申したのに、それらを復活させてしまうのですからね。これは根本委員会答申の改革ビジョンの全否定ですよね。この件は27日の分科会の議論も含めてまた書きます。

■ついでながら、公共施設再編計画を伝えた朝日の「佐藤清孝」と言う記者の批判精神の欠けらもなく役所に買収されているかのいつものヨイショ記事には呆れて物が言えませんね。朝日の購読止めようと思うこの頃でした。

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