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2011年3月

2011年3月31日 (木)

“地方議会に政党はいらない”考

■2ヶ月ぶりのブログである。自治基本条例づくりのための公民館講座が一段落し、次へのステップに向けた準備活動中であったこと、狛江派遣村の当事者達とのコミュニケーションの困難さに悶々としているうちに、3.11東日本大震災である。半月間テレビに釘付けとなり、オロオロしているだけだった自分が情けない。あらためて被災された方々へのお見舞いを申し上げたい。

■その大震災が私たちに突きつけているのはナンなのだろう?家や職場や家族を失った被災者達の深い悲しみを少しでも共有するための営為とはナンなのだろう?直感だが、ワタシの身近な「ハンディキャブこまえ」などのNPO系市民や呑み仲間の職人さん達の居酒屋談議を含めて、「1万円赤十字へ寄付したよ」「現地へ粗大ゴミ片付けに行こうよ」などの会話がものすごく平易に飛び交っていることに驚いている。16年前の阪神大震災救援に食堂のオヤジさん達と狛江から車で炊き出しに出かけたり、復興支援フリーマーケットを開催したりしたことを思い出し、その直後の「NPO法」の制定で日本にも市民社会が動き出したと実感したことを比較して考えると、それをひと回り上回る大きな変化がライフスタイルや地域社会への意識、政治参加など市民社会の成熟をもたらすのではないかという予感である。

■「市民社会の成熟」を我が地方自治ギョーカイの思考方法に強引に引き寄せて申し訳ないが「イザというとき頼りになる地域社会・地方政府の有り様とは何か」という問いが次に出てくる。リスクマネージメント(危機管理)政策も重要であり、その装備も含めた総合政策(総合基本計画)の統制も含めて、そもそも自治体政府を市民のコントロール下を置く(神原勝)「自治(議会)基本条例」(自治体の憲法)の制定運動という地方分権自立改革が徐々に市民の関心事となってゆくことをそれは意味すると思いたい。


■その地方政府の在り方を問う統一地方選挙が目の前に迫った。メルトダウン(炉心溶融)瀬戸際にある原発事故が進行中であることを含めて、こんな国難のときにナニがセンキョだといった声もある中で、候補者の皆さんも大変だろうなあと同情しつつ、そのセンキョを考えたい。もとより、まったく盛り上がらない悲惨な都知事選のことなどドーでもよく、ワタシラのまちの市議選のことである。コチラも実は盛り上がっていないのだけど、すこしは面白くしたい思いを込めて、市議選に市民側からドー政治参加(選択)するか考えてみた。

■ところで、落選した4年前のセンキョの前の議会報告チラシを見たら「地方議会に政党はいらない!」という表題が目に入った。実はこのキャッチコピーは西東京市議の森てるお君の受け売りなのだが、無所属市民派の存在理由を表すには最適なコピーに違いなかった。しかし現実には特に都市部においては圧倒的にナショナルパーティーが地方議会を占有している現実は簡単には変わらないのも事実である。現に私の落選によって狛江市議会では無所属議員が一人もいなくなったのはなんとも皮肉だった。

■そのチラシが引用していたブログのタイトルは「地方議会解体論の今」(2006年11月23日)であった。ナゼ「地方議会解体論」かは、今日では名古屋の河村たかしや大阪の橋元知事の問題提起があり、皆さんもストンと胸に落ちるところだと思うが、劣化状況の地方議会の解体的な出直し論である。当時狛江市議会では「定数削減」論争の只中にあり、とりわけ共産・田辺議員の「(議会制)民主主義のリストラ反対論」との格闘の中からしぼり出したブログだった。

■実は、当時のワタシ的にはカルチャーショックだった「地方自治の革命児」元志木市長・穂坂邦夫を狛江に招いた縁もあり、シティーマネージャー制(首長制廃止)に大きく傾注していた。少数精鋭型議会が同時に執行権限にも責任を持つシティーマネージャー型はその意味で現在、橋元大阪知事が提案している「議会内閣制」(自治体内閣制)と似ており、自治法が定めている日本特有の「二元代表制」を大きく解体再編成するものであった。

■地方議会のあまりの劣化状況に業を煮やした住民による「定数削減」の大合唱に迎合するだけで良いのか?との「民主主義のリストラ反対派」(インチキ二元代表制堅持派)の突きつけに「スリムでなおかつ大きな役割を発揮する市役所」という地方分権改革のテーゼをなぞり、行政執行権への関与であるシティーマネージャー制(今日的には議会内閣制が浮上)の少数のスペシャリスト議会こそ「脇役だった議会」(平成18年町村議長会・活性化委員会報告)の根本治療薬ではないかと論駁したのであった。

■シカシテ、少数精鋭のスペシャリスト議会と役割拡大をめぐる議会改革論は宙に浮き「定数削減」の結果だけが現実のものとなり、地盤・看板の既成政党派のみが生き残る結果を招いた。(これは狛江だけでなく、無所属議員・市民派議員の退潮がトレンドとなっている)ワタシ的には情けないことに戦略の失敗でもあったワケであるが“地方議会に政党しかいない”状況のもとで、その戦略の見直しを迫られたといえば大げさだが、事実、ワタシ的にも議会改革論の軌道修正が行われた。シティーマネージャー論は少し一足跳び過ぎたというか、改革行程としてリアリティーを欠いていたかもしれない。

■さて、ワタシの当落はドーでも良いことであり、問題は急務となっている議会改革論の今である。すでに事実上選挙戦に入り、「ドブ板・要請請負型」が全開中の、一人でも多くの人と握手することしか頭にない候補者には議会改革論を熟考できるわけもないが、もとより狛江市議会の議会改革の歩みは、同じ三多摩の多摩市議会などから周回遅れの現状にあること自体も自覚できていないから始末に悪いのだが、ココまでなら跳べるよねという現行自治法下でも可能なハードルがその多摩市議会基本条例というモデルである。

■昨年3月都内初の「議会基本条例」の議決を受けて、「何が多摩市議会の改革への挑戦をもたらしたか?」と6月の「地方自治講座」では岩永ひさか多摩市議を招いてシンポジュームを開催したり、そこでも助言者として参加して戴いた石井秀一さん(自治体総合政策研究所)を含めた昨秋開催の「自治基本条例を考える・公民館連続講座」でも学習したように、平成18年北海道栗山町から始まり現在168自治体で制定され、すでにスタンダード(標準装備化)になろうとしている「議会基本条例」制定が議会改革の本流となってきている。

■その「議会基本条例」とはナニかをごく要約すれば以下のようになる。
①自由討議
「八百長と学芸会の地方議会」と言ったのは現総務大臣の片山・元鳥取県知事だが、セレモニーと化している実態は狛江市議会も同じである。市長側の反問(逆質問)や議員間の「自由討議」なしとは驚きだろうが事実である。そのことは、最重要な政策体系である「基本計画」(5年計画)すら議決権限を与えられていないことと裏表の関係にある。議員同士や市長側との「熟議」が保障されていないから、言いっぱなしのパフォーマンスやドブ板質問・オネダリ質問に終始してしまうのである。
②市民参加
多摩市議会基本条例でも自由な「市民発言」が委員会で可能となりました。(名古屋市会も同様です)アメリカの地方議会では「パブリックコメント」として本会議で必ず傍聴市民の発言が行われているが、狛江市議会では陳情提出者ですら発言は許されていない。そもそも「陳情」なる言葉自体が「市民の広場としての議会」の否定である。また、定例会以外に「一般会議」(政策会議)などで広く市民に門戸を開くべきである。
③公開・説明責任
すでに多くの地方議会で当たり前のインターネット動画配信すら狛江市議会では実現できていない。(無料で中継可能なユーストリームを活用する議会もある)また、市民への説明責任を果すとして重視されているのが、地域での「議会報告会」の開催である。自画自賛の議員後援会主催でなく、議会としてのタウンミーティング開催は市民との距離を縮める工夫である。

■全国初の栗山町議会条例は衝撃でした。現行法下でもここまでできるのだと目が点でした。その背景には自治体学会・北海道土曜講座などの自治体職員と学者達の長年の改革へのこころざしと熱情があったのであり、その前段にはこれも全国初のニセコ町自治基本条例(平成12年)の制定があったのでした。ちなみに栗山町議会条例はそれが先行し、自治基本条例が後追いのかたちとなりました。本来的には最高規範である自治基本条例の下位条例の位置にあるのが議会(運営)条例であり、独立させないで自治(体運営)基本条例の議会条項として制定することもありうる選択ですよねと、公民館講座でも皆さんと学習しました。

■長くなりました。かくして平成17年9月のシミちゃん流「地方議会解体論」は栗山町モデルの「議会基本条例」制定運動を主導する「自治体議会改革フォーラム」(代表・廣瀬克哉法大教授)の改革論にシフトチェンジしたのでした。というワケで言い訳がましい4月17日告示の市議選を前にした議会改革論の整理をさせていただきました。さて、次にはもう少し具体的に市議選直前情勢と選挙後の議会の党派構成がドーなったら面白くなるかについて書きます。

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