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2011年9月10日 (土)

参加協働審議会へ意見書

狛江市市民参加と市民協働の推進基本条例・改正に対する意見
-9月10日参加と協働推進市民フォーラムに際して-
 
自治基本条例研究会・清水信之 


①『自治体運営の基本ルール』(自治基本条例)との関係について

狛江市前期基本計画において、「行政基本ルールの確立とも関連して基本条例の見直しに取り組みます」「このルール(自治基本条例)の検討は、既存の市民参加と市民協働の推進に関する基本条例の見直しの際に、市民の主体的参加ものとに議論を重ねながら進められるよう、市民主体の検討機関において行います」とありますが、そもそも執行部側から自治基本条例に関する基本認識や取り組み姿勢が示されない中で、「基本計画を踏まえた(自治基本条例と関連させながらの)参加協働条例改正」という難題を引き受けざるをえない審議会の苦悩に同情せざるをえないものの、現時点で「自治基本条例」に関して、当該審議会でその基本的な理解を共有する議論経過は見当たりません。
にもかかわらず、①「市民参加・協働条例を自治基本条例の一部に含ませる」か、②「参加協働の理念だけを自治基本条例で定め、市民参加・協働基本条例は、その具体的な取り組みを定めた特別条例(「特別条例」の意味は不明)として独立したものとする」かの選択肢を設け、②として位置づける(「独立した特別条例として扱う」)などと、唐突に自治基本条例の枠組みやその理念に関して規定し、参加協働の理念の延長線上に自治基本条例が構想されるかのような強引な解釈には同意できません。
しかし、将来の自治基本条例策定とは無関係に市民参加条例改正のみに限定して議論を進めていることは基本計画の意図を無視した行為となります。従って先ずは自治基本条例とは何かについて基本的な認識の共有を進めるべきであり、今からでも条例改正分科会と平行した「自治基本条例分科会」を設置し、(将来の)自治基本条例制定と、この度の参加協働条例改正との枠組みの法規的な調整・棲み分けを行いながら参加協働条例改正を行うべきです。

②条例改正作業の工程表(進行管理)の短縮について

平成22年度最終審議会である第9回(平成23年2月9日)に提出された「基本条例の見直しの方向について(素案)」では、「3.見直しの体制」で「この分科会は、幅広く市民が主体的に参加できる場とすべきである」と書いてありました。ちなみに第8回日審議会で、山岡会長は「実際に参加協働した方たち公募市民委員が出てきて、市民の目線からこの条例がどうであったのか、どうあるべきかの議論をきちんとしてほしいと思います」「審議会から何名か入っていただいて、市民に呼びかけて参加してもらう」といい、“公募市民を含めた分科会”という構想に基づいて、「4.見直しのタイムスケジュール」では「平成23年6月分科会設置に始まり、平成24年8月改正条例案答申」という2年をまたがったスケジュールでした。ところが、2月9日に突然「2年間の見直し」が「今の審議委員が23年度で任期満了」となることから、「できれば現審議会で1つの方向をきちんと出しておいた方が良い」として、急遽、年度内の23年3月改正案答申へ変更され、それに伴い「公募市民による分科会」もなくなり、「公開分科会」(2月9日審議会)すらどこへやら、審議会メンバーのみの閉ざされた議論の場になりました。
さらに上記①で述べたように基本計画を踏まえ「自治基本条例の検討と併せて条例を見直すことになります」(11月8日第6回審議会山岡会長)と述べたとおり、自治基本条例の基本的な学習・審議の期間が必要であり、そのことも併せて考えたとき23年度中の「改正案答申」はとても信じがたい超短縮スケジュールだと思います。もっともアリバイ委員会で、実際は行政の事務局にお任せし、幅広く深い市民議論などを求めないというのであれば話は別です。市民参加制度の推進役であり元締めである審議会が当の市民参加協働制度改正をこのような拙速かつ形式的な参加手続きで済ますことは自殺行為ではないかと考えます。
したがって、スケジュールを「素案」のレベル以上に確保すること、そして現状では拙速かつ形式的な市民参加と云わざるをえない「フォーラム」「ワークショップ」でなく「幅広く主体的に市民が参加できる場」としての「分科会の設置」や「関係団体との意見交換・ヒアリング」など多様な参加手続きを確保すべきことを申し添えます。

③「市民参加の定義」ついで「市民の定義」を根本的に考え直すべきである。

私たち「自治基本条例研究会」(昨年度公民館講座受講者17名の自主グループ)は本年5月より「神原勝教授の自治基本条例私案と狛江市制度の比較検討」と合わせて、「参加協働条例改正」を検討してきました。その中で現行市民参加協働条例の骨格部分である「市民参加」という概念そのものの変更が必要であるという認識に至りました。「市民参加」=「行政活動への参加」という行政府への政治参加に限定したら「議会」(立法府)への参加は新たな造語が必要になります。むしろ多くの自治体で採用しているとおり、「市民参加」=「市政(行政・議会)への参加」と定義を修正すべきです。「市民参加(住民参加)」とは自治体等の政策決定過程等に関与することですから、行政計画や条例の議決過程への「参加」を法規上排除することは、住民自治と地方自治法を無視することになります。(ちなみに、現行条例第5条-市民参加の対象-では「計画等の制定又は変更」「条例の制定又は改廃」を対象としているにもかかわらず、その「市民参加の実施機関」から議会を除外する誤りを犯しています)
その上で、議会への参加条項を当該改正課題とするのか、議会を含めた自治体運営の基本原則を規定する自治基本条例(自治体運営条例)に委ねるのかを充分な市民議論を経て判断すべきと考えます。
なお、参加条例は「市民の定義」を避けています。だから「市民委員の定義」も定まらず、審議会等の市民の主体性の確保を含めた運営基準(「審議会等における市民委員の参加推進マニュアル」)も出来ていません。地方自治法は住民を主権者市民としており、その信託に基づいて自治体の運営が適切に行われるように情報公開や市民参加や行政評価などの制度が存在するのですから、主権者は住民である市民であり、通勤・通学者、企業団体など、まちづくり等への協力者は「市民等」(小平市自治基本条例)と規定するのが自治基本条例概念との整合性が保たれると考えます。(参考:狛江市基本構想では「市民」を住民・通勤・通学者・企業団体と定義し、狛江市まちづくり条例では「市民等」と表記し、法規上混乱しています)

④その他、特に重要と思われる事項

イ、審議会改革について
平成21年度の「総合評価」で「総合基本計画の実現」を掲げ、主として前期基本計画にもとづく条例改正と云われるが、事務局整理の課題項目(8項目)にあって、その基本計画中の施策成果目標に「市内在住の委員が過半数を占める審議会の割合」を「23.8%から80%」へと言う項目や、「市民協働事業件数」を「60件から90件」が記載されている点に言及がないのは不思議である。審議会に占める「市内在住委員」の割合が過半数以上の審議会にすることを担保した条例改正を行うべきです。また改正分科会でも俎上に乗っているとおり、「市民委員」の規定を整理した上で、「市民委員過半数規定」も条例化すべきであり、会長・委員長が学識者とする不文律?があるが、「御用学者」なる批判もあることから学職・有識者はアドバイザーに徹するべきであり、市民委員の積極的登用を促すなど、主導権を限りなく主権者である市民に与えることが市民参加制度の充実に欠かせないと考えます。(アーンスタイン「市民参加の梯子」を参照)また、審議会市民委員選考に当たっては行政の恣意性を排除する意味で抽選とすべきです。なお性別等への配慮は同時に担保すべきです。

ロ、常設型市民投票制度の導入
和光市市民参加条例でも「常設型常民投票制度」が23年10月に施行予定です。市民参加制度の本丸とも言われ、政策決定過程へ主権者市民に決定権を与える市民投票制度の構築は最重要課題である。

ハ、参加対象へ賦課徴収事項の追加を
平成23年自治法改正案でも「直接請求制度(条例制定請求)の対象から地方税の賦課徴収等の除外規定の削除」が予定されている。改正分科会の資料でもあるとおり、地方分権時代にあって市民生活に重大な影響のある賦課徴収事項を参加対象の例外とする規定は廃止すべきである。
以上(23年9月10日)

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コメント

 「主権者は住民である市民であり、通勤・通学者、企業団体など、まちづくり等への協力者は「市民等」(小平市自治基本条例)と規定するのが自治基本条例概念との整合性が保たれると考えます。(参考:狛江市基本構想では「市民」を住民・通勤・通学者・企業団体と定義し、狛江市まちづくり条例では「市民等」と表記し、法規上混乱しています)」
というと箇所について、ちょっと気になったので、コメントします。

 「主権者は住民」という点は、まったく正しいと思います。問題は、通勤・通学者・企業団体です。
 市民、自治体(行政)ともに間違っているのは、条例の主体者は誰かという視点が失われているところです。つまり、条例の本質、この条例は「誰と誰の関係」で、「何を定め」ようとしているかという点が、いつの間にか不明になっています。

 そもそも、当初の住民参加(「市民」参加という言葉が、「市民」の意味を広義化し、通勤、通学者等が含まれてしまったため、混乱している。)は、行政の政策決定過程に住民の意向を盛り込むために考えられた一つの制度です。主権者である住民の意思の反映であるので、制度として保障されなくてはなりません。

 しかし、通勤、通学者等はどうでしょうか。その自治体の政治に参加する正当な権限(主権者としての権限)を持っていません。従って、そもそもが、彼らは条例の主体者にはならないのです。どうしても彼らの意見を聞きたければ、個別にアンケート、パブコメなど他の方法によって聴取することはいくらでもできるのです。「冷たい」などと感情論に走らず、論理的に考えれば、そのような区別は当然の事理です。

 住民(市民)参加条例において、主権者である住民と「通勤・通学者・企業団体」とが、同等の権限(権利)を持つこと自体おかしいといわなくてはなりません。もし、参加の方途を「一部分」開くとしても、主権者である住民と区別された規定であるべきであり、その参加を認める合理的な理由がなくてはなりません。

 条例には、様々な登場人物が現れます。例えば、景観条例などは、住民だけが守っていれば良いわけでなく、企業(特に開発業者(デベロッパー))や通勤、通学者なども守ってもらわなければなりません。また、煙草ポイ捨て禁止条例は、通行人を含めた多くの人が対象となります。つまり、条例の目的によって、登場人物が変わるということです。

 ここで注意が必要なのは、これらの条例は、権限や権利を与えるものではなく、義務を課するものとなっていることです。要するに条例の目的が、「規制」という目的になっているのです。この事と、住民(市民)参加条例のように、参加者に権利を与え、自治体をこのルールに沿って行動するよう拘束する条例とは、同様に考えるわけにはいきません。

 よく、「まちづくりは皆で」など、スローガンのような言葉が発せられることが多いようですが、騙されてはいけません。「まちづくり」をしていくのは、住民であり、住民自治の問題です。もちろん、前述したとおり、目的により住民以外の関係者が参加してくる場合もありますが、あくまでも、それは「従」としての立場に過ぎず、けっして、「主」にはならないのです。

 「まちづくりは皆で」ということを声高に言う人は、そのまちに住み、「責任をもって」自治を行っている住民だけで、まちづくりをしていくことはできないと考えているのでしょうか。そんなに、よそ様の意見を聞かなくては、自らのまちの自治を決められないのでしょうか。そんなに自信のないことでは、責任ある自治など到底できないのではないでしょうか。

 もちろん、だからといって、誰の意見も聞かんぞと頑なになる必要はありません。様々な人から知恵をもらうことは、決して悪いことではありません。しかし、たとえそうであっても、まちの政策決定過程に参加するということとは、合理的な理由によって、区分、区別されなくてはならないということです。

 最後に、「市民等」という言葉の使い方ですが、法制上、「市民」との区別が紛らわしく、また、区分の意味も不明確であり、もっと別の言葉に置き換えるべきだと思います。
 前述してきたとおり、「主権者である住民」ということを考えれば、「市民=住民」と「市民等」は、明らかに区別されなくてはならないものであり、「市民等」は、法制上もまったく駄目な用語としか言いようがありません。

投稿: 自治体総合政策研究所石井 | 2011年9月15日 (木) 12時45分

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