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2012年6月 1日 (金)

矢野市政の精算と何か(その2)

■地方分権改革という自治体改革戦略は一口に言えば「地方政府としての自立」です。(だから「自治体の憲法」=「自治(体)基本条例」という自治体運営の基本ルールづくり~橋下流に云えば統治機構のあり方を変える~が全国の自治体で課題になっているのです)その分権改革戦略を踏まえないアレヤコレヤの思いつきの改革はブレーキとアクセルを同時に踏む失敗に至ります。その良い例が、目的は野放図な箱物づくりの抑制のはずが、新図書館(20億円?)を復活させ、駅前三角地複合施設(4億円)を浮上させた「公共施設再編計画(方針)」です。

■さらに問題なのは、この新図書館復活に正面からNO!と言えない市議会(野党)の姿です。ここで思い出すのは、平成13年9月議会のある光景です。体協からの「水道局用地スポーツ公園化陳情」(40億円)に、財政も顧みず自公民共揃い踏みで賛成した事件です。(その後、矢野市政は市民グランド(和泉本町)売却騒動を経て、スポーツ公園化は頓挫し、公共施設をめぐる長期計画の必要性の認識、財政危機対応策検討へと向かう)今また同じ過ちを犯そうという矢野市政に対して、市議会もまた事実上同伴しているという深刻な実態です。痛みを伴う「選択と集中」計画が実施できないはずですね。だから(みんなで渡れば怖くない)オール与党体制だと言っているのです。

■ですから、この「新図書館」にNO!と言えるかどうかが、その候補者の改革度を測るバロメーターだと言えます。それはともかく、ナゼこんなポピュリズム(大衆迎合)が狛江市役所を覆っているかそのメカニズムにもう少し迫りますが、それは、先ほど述べた「分権改革戦略論」が不在であることに加えて、議会(議員)が「市役所村落共同体」に同化してしまい、知らず知らずに既得権益防衛隊に組してしまう落とし穴の問題があります。

■ほんとだったら、財政規律を無視した水ぶくれ公共施設計画(新図書館など)に議会が体を張ってこれを阻止しなければ、二元代表制(牽制機能)の意味がないのに、現実は圧倒的に首長側(行政)優位の、タテマエだけの「インチキ・お飾り二元代表制」なので、オネダリ・擦り寄り路線(オール与党体制)が常態化してしまう地方議会の姿がそこにあります。そこでは行政の描くシナリオを演じてみせる代償にドブ板・地元要求を応えてもらうなどの利害関係の共同性が生まれます。

■これは地方自治講座や自治基本条例研究会等、議会基本条例の学習を済ませた方には繰り返しになりますが、例えば、最も自治体政策の集大成である「市基本計画」(10年計画)の策定に議会は関与することも出来ません。当然、その下位計画の「公共施設再編計画」にも触れることはできません。例え、一般質問でこれに反対を表明する程度のことは痛くも痒くもないのが行政です。

■単年度の予算や条例の議決だけでなく、行政活動の本丸=政策の集大成である基本計画策定等に議会を関与させないなど(もっと言えば、そもそも議会招集権を首長が持っているなど様々な首長側の権限過剰システム)の行政優位、行政主導型の政治こそ、真の市民代表である議会の優位に変えなければ、牽制機能は果せず、結果、その役割の矮小さ(惨めさ)をカモフラージュするがごとくの赤絨毯の議場や報酬等議員特権待遇で、何かしら権威を得ているかの錯覚に陥いらせ、そして行政官僚の手に内に踊らされる「八百長と学芸会」(片山義博・元総務相)のオール与党議会の誕生なのです。

■もうお分かりでしょうが、そこを解決するのが議会(運営)基本条例等による議決範囲の拡大なのです。すでに、こうした自己反省を踏まえた議会改革を集大成した「議会基本条例」が平成18年栗山町議会を初めとして全国に拡がっているのです。議会改革の中心軸はこのような議決範囲の拡大と、それを、責任をもって熟議し議決できる環境整備としての「自由討議」(驚くかもしれませんが、なんと議員同士の議論は想定されておらず、行政への質問のみの儀式でした)と、年間60日しか働いていなかった議会開催日の「通年議会化」。そしてネット放映等の「公開性」や傍聴者等の市民発言、政策提案を受け入れる(議会への)「市民参加」の拡大です。

■ですから、(市長選挙なのに議会が問題だというと、一見首を傾げる向きもあるかもしれませんが)「議会改革」も重要な隠れた争点なのです。ココで、やっと本題の「矢野市政の清算とは何か」にたどり着きました。矢野市政は地方分権改革をネグレクトし、旧態依然の行政主導型政治(刺身のツマ議会)を温存することで延命してきたのだと思います。そして、その裏返しになりますが、片や野党・自公民にも分権改革論者・議会改革論者が不在だったことがその延命に手を貸してきたということになります。

■ここで終わってもいいのですが、もう1つの論点を付け加えます。矢野市政の「市民参加(条例)」(平成15年)は確かに功績であり、今日では全国標準装備ではあります。(正確に言えばもはや時代遅れです)しかし、ここにも行政主導型政治を温存する仕掛けが隠されてきました。参加協働条例をよくお読みいただければお分かりですが、最も肝心な問題は「行政活動への参加(意見反映)」に限定された「市民参加」だと云うことです。

■参加条例によって、確かに多くの政策形成過程への「参加」は実現されてきました。しかし、その体験をした多くの市民に達成感、民主主義の実感が得られないという状況が産まれています。それは相変わらず御用学者などを動員するアリバイ・ガス抜き審議会が常態化していると云うこともありますが、本質的には、政策決定過程への関与できないストレスなのです。

■決定過程とは本来議会の役割ですが、上述したようにその議会で議決できる範囲が限られていることに加え、これもすでに述べたように、議会が本来の「市民のヒロバ」でなく市民の関与を極めて狭くしているからです。そもそも「陳情・請願」などと云う時代錯誤の制度自体をなくし、「市民政策提案制度」とするのが、「議会基本条例」なのです。

■追加で「矢野市政の清算」に加えれば、「古い市政」と呼んだ「閉ざされた」「地元名士のとりまき政治」(密室談合型政治)は確かになくなりました。もはやそんな時代ではありませんので・・・。しかし、2000年(平成13年)から始まった地方分権改革に背を向けてきた結果、行政主導型政治から「市民本位の市政」、「市民が主人公の市政」に転換するチャンスを決定的に遅らせてきたことの罪をどう考えるかと云うことになります。

■とりあえず、矢野市政が実は行政官僚制の枠内だったとする清水流の実験的総括とします。皆様の異論・反論をお待ちします。

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