狛江市総合基本計画

2013年3月26日 (火)

「市民参加の守護神」のふがいなさ

■ハナシは前後しますが、3月21日(木)「狛江市市民参加と協働に関する審議会(萩原なつ子委員長)」(略称:参加協働審議会)が開かれました。現在、素案に対するパブリックコメント中である基本計画改定手続きに対して、市民から出された「市民参加方法提案書」(参加協働条例第6条)を審査するためでした。(急遽の開催のため、定数15人中7人が欠席)以下はその傍聴記です。(各委員の発言紹介は清水流の要約ですのでご容赦下さい)

■基本計画改定手続きとは、昨年夏の市長交代による政策変更作業の一環であり、前期基本計画の残り期間2年と後期基本計画5年分の7年間をセットにして「新基本計画」とするものですが、問題はこの策定作業を実質的に「庁内手続き」で完結してしまう手法である。「市民提案」は云わば、これへの異議申し立てであり、「総合基本計画審議会(学職8名、市民5名、市側1名で構成)」や「基本計画策定市民分科会(学職6名、市民35名が参加)」を開催するなど、もっと丁寧な市民参加を保障すべきだとの主張である。

■委員の議論を要約すれば、「基本計画策定に参加した市民(の感情)にしてみれば、(早くも2年で一方的に行政に書き換えられてしまうことに)納得いかないだろう。私も同感だ」(松崎学委員)との意見がある一方で、「参加を求める市民側の提案書には敬意を払いたい。しかしタイミングの問題として、(改訂作業が大詰めとなった)この次期に「総合基本計画審議会」に諮問し、例えば1年間かけて審議の上、改定するとなれば、市長選後の公約等を速やかに政策化すべきと考える市民の期待に反することになる」(石田委員等)が主流の意見だったと思える。

■なお、「今回の基本計画改定方針は行政主導を宣言している。市民の意見を聞くだけなのか?市民と一緒につくるのか?の問題は残る」「今後、今回を前例として(基本計画や行政計画策定にあたり)審議会不用論が出てくるとすれば問題だ」(松崎委員)なのだが、「(今回の基本計画改定に当たっての市民参加手続きは)充分条件とは言えないが(条例上の)必要条件は満たしていると言わざるをえない」(石田委員)のでと、云わば、「苦渋の判断だが、審議会開催提案にはムリがある」との結論である。

■したがって、最後は、委員長権限による市長への「答申」に委ねられたので、どのような書き振りになるかは不明だが、事実上の「市民提案」却下の結論に変わりはない。ナゼそうなるか?お分かりのように市条例である「市民参加協働条例(同施行規則)」は、政策形成過程(計画策定)にあたって市民参加の手法(審議会か説明会か
アンケートか)の選択権は行政に委ねているからである。加えて「狛江市総合基本計画審議会条例」は、「狛江市の総合基本計画を策定するため、(略)市長の諮問機関として狛江市総合基本計画審議会(以下「審議会」という。)を置く。」と云うだけであり、基本構想・基本計画策定、又は改訂時に必ず審議会を開催するという縛りはないからなのです。

■さて、この苦渋の結論はやむなしか?問題をとくカギはないのか?審議会の役割は何か?「第30条 この条例による市民参加と市民協働の推進を実効あるものにし,時代の動きに的確に対応させるため,狛江市市民参加と市民協働に関する審議会を置く」とある。ここで知恵を出せないなら審議会の委員長以下学識委員メンバーは「御用学者」か、単なるアルバイトか? ただ、多数意見を集約するだけなら、何のための学職枠の委員長かと言いたい。(ちなみにウキペディアでは、荻原なつ子・立教大教授は日本NPOセンター常務理事とあり、前任の審議会委員長であり、狛江市の参加協働条例産みの親である山岡義典・法政大教授が前日本NPOセンター理事長だった縁のご指名のようであり、専門は「環境社会学、ジェンダー研究、非営利組織論」とある)

■何が問題を解くカギか?いみじくも、このたびの基本計画改定方針(昨年8月)が「行政計画」と何度も強調しているように、明らかに「私たちがつくる(水と緑のまち)」(基本構想)として、市民を主語にした政策体系(市民による行政への命令書)としての総合基本計画づくりから行政主導型計画づくりへの変更である。そのことの是非を含めて、最大のネックである「直近の民意である市長選挙による政権公約と総合基本計画の齟齬(対立)」を解消するためには、市長選挙の時期と総合計画改定時期を連動させ、その際の市民参加や議会議決(報告)など手続きを定めた「総合基本計画策定及び運営ルール」(「総合基本計画(策定)条例」や自治基本条例に昇華させることも考えられる)をつくれば良いだけのことである。(市長選挙を起点に4年間スパンの基本計画など)

■そのことにより、「市民参加と市民協働の推進を実効あるもの」にできるのである。現に、平成23年で自治法上「基本構想策定義務」が分権改革で撤廃された今、どの自治体でも「総合基本計画(長期計画と言ったり、期間もバラバラだが)の運用が課題となり、議会基本条例の必須テーマともなっているのである。だから、「市民参加の実効性を担保させるために、総合基本計画づくりの制度・ルール改正をしなかった行政の怠慢(不作為の罪)を糾し、短期間でも良いから審議会開催を要求する」といった内容を市長へ答申すべきなのである。少しマニヤックなハナシで恐縮でした。(興味ある方は「多治見市市政運営条例」を参考にして下さい)

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2010年3月10日 (水)

「修正箇所一覧表」のウソ

■昨日の総務文教委員会で市が確定した新・基本計画の報告が行われた。質疑は基本計画の全体像に肉迫するというより、審議会答申に対する行政の修正を巡ってのやりとりだった。後で触れるが基本計画への議決権なき議会の(せめてもの抵抗でしかない)質疑だから、報告をする行政側も、それを受ける議会側も(5年間の政策を縛る重要案件にも関わらず)ほとんどの会派が最初から聞き流す態度だから、緊張感に欠ける委員会だった。

■その中でも唯一、正木議員(民主)のツッコミは的確だった。「行政が示す19項目(27箇所)の修正以外他に修正箇所はないか?」に対して、政策室・平林室長は「それ以外はありません」との答弁。(平林さんよ、ワタシのブログを見ていなかったのね)そこで正木議員が次々に新なた修正箇所を指摘したところ、答弁に窮し、休憩に入らざるを得なかったのが行政側であった。結局修正前と修正後を対比した全文(123頁)をあらためて開示することとなった。

■さて、正木議員の質疑は「目標値の下方修正(財政健全化指標など)や指標そのものの削除(自治基本条例策定)など重要事項の修正がどうしても必要なら、分科会、審議会の場で問題提起して調整すれば良かったではないか?そのために事務局として企画財政部長も同席し、審議会委員として副市長も入っていたではないか」「これでは審議会・分科会参加市民はピエロになってしまうではないか」等であった。企画財政部長の答弁は「パブリックコメントの市民意見を踏まえた修正である」「財政健全化目標値は頑張れる範囲内に設定した」など曖昧なものであった。

■ワタシ的に特に気になるは指標そのものを削除してしまった「基本ルール(自治基本条例)策定」だが、根拠としているパブコメでは促進意見はあったもののネガティブな意見はまったく皆無だった。とすれば行政側(市長)の判断で事実上のお蔵入りを決めたことになる。横並びがイイとは言わないが、すでにおとなりの調布市は自治基本条例のパブコメに入っているし、多摩26市の大半が制定への準備を進めている基本条例がなぜ必要となっているのか分かっていない?それとも市民参加条例で良しとする市長に迫る必要がある。ともかく最後までいい加減な基本計画策定手続き(だけでなく中身も)をまのあたりにして、実効性と正統性のあるものにするにはやはり議会の関与(議決)は欠かせないと実感した。

■ところで、悪口言いたくないけど調布市の自治基本条例案はまったく「自治体再構築」への気概が感じられない多摩でも最も低調な条例案と言ったら怒られるが、このレベルの基本条例なら「制定しても何も変わらない、制定が目的化している自治体もある」との山岡義典教授の意見が思い起こされる。それにしても2~3年というより4~5年はかけてじっくり市民議論・議会議論を醸成させるプロセスそのものに意味があると言われる「自治(体)基本条例論議のスタートは現市政に任せていたらいつのことやら?そこのところを来週の予算委員会でも是非確かめてほしい。

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―第25回中央公民館のつどい― (こまえ地方自治講座)
座談会「自治基本条例とは何か?」
~自治体の憲法と呼ばれる自治基本条例制定で何が変わるのでしょうか?~
‐記‐
■平成22年3月13日(土)夜6時~9時
■狛江市中央公民館・第2会議室
■ゲスト:橋本久雄氏(小平市議会議員)
■助言者:石井秀一氏(自治体総合政策研究所)
■資料代:200円程度(ご希望の方)
■主催:市民自治研究会(代表:清水信之3480-0306)

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2010年3月 6日 (土)

骨抜きの連鎖

■昨日は市議会一般質問を一日傍聴した。2月12日に最終答申された「基本計画」を正面から取り上げる議員が誰一人いないことを嘆いたが「狛江市の将来像について」というタイトルにかすかな期待をもって佐々木貴史君(公明党)の質疑に付き合ったがやはり空振りだった。ただ彼の指摘でわかったことがある。「公共施設再編方針」中の「財政シュミレーション」と「工程表」で「3中移転」の時期にズレがある、年度が違う記載となっていると言うのだ。

■3中移転(27年開校)は22~23億円もの費用がかかる目玉の施策なのにこの年度がズレていれば10年間の財政計画に狂いが生じる。ナンと言う体たらくぶりである。思えば去年21年3月に公共施設再編方針検討委員会報告書(委員長・根本祐二東洋大教授)が出てから約1年間も弄び、「20年間で毎年1.5億円の不足」「選択と集中・(安全・子育て等)重点施策以外の新規施設整備は見送ります」と「新図書館建設」を凍結し、新しい公共づくりのため、時代遅れの公民館(中央公民館)を「市民活動支援センター」へ衣替えするなど果敢な改革提言を行った同報告書を完全に骨抜きにしたのが行政による「公共施設再編方針」(1月)だったのである。

■だから、佐々木議員が3中移転先の旧4小(多摩川団地)跡地利用は都市計画を変更して介護施設などの方がベターなのではないかなど抵抗しても各論にしか過ぎないのである。また、同日その後登壇した河西かず議員も「旧7小・4中売却」を前提としたシュミレーションの危うさや新図書館建設後のランニングコストが計上されていないなどの指摘それ自体は的外れとは言わないが、新図書館建設自体をNOと言い切れなければ、相変わらずの箱物幻想に住民をつなぎとめミスリードする当計画の本質を批判したことにはならないのではないだろうか?

■もとより、同計画にバンザイしてしまった公共事業大好きな最大会派(「明政クラブ」2月号「大筋は理解しました」)を筆頭に前例踏襲・既得権擁護の役所村落共同体(オール与党体制)から抜け出せないから「選択と集中」が切り分けられない議会の不全ぶりは今に始まったことではないが、そんな実情と田口貴子さん(明政ク)の無念の死をつらつら考えている今日この頃であった。

■それはそうと「骨抜き第二弾」は当日全議員に配布された「(前期)基本計画」であった。少なからず予想はしていたが、これほどの修正をするならナゼ、総合基本計画審議会メンバーだった副市長などの側から問題提起がなかったのか?あと出しジャンケンでは益々公募市民委員などの「アリバイ委員会」批判が高まるばかりではないか?同時に配られた修正箇所一覧表では19箇所について「文言修正」「目標値修正」「指標修正」が加えられている。(もっともこの修正一覧表以外にもかなりの部分が削除修正されていることがわかった)

■最も問題の修正は目標値の修正である。「財政健全化」項目の「地方債残高」を現在値で多摩26市中25位から20位レベル「246千円/人」へ、市民一人当たりの借金を減らそう・借金体質からの脱却を図ろうという目標値が「272千円/人」へとハードルを大きく下げたのである。すでに計画初年である22年度予算案でも赤字債14億円を含めて約23億円(前年17億円)とタガを緩めている。借金依存体質からの脱却は自立自治体の一里塚である。
それ例外の財政関連指標である、健全化の目安である「財政調整基金」や「徴収率」を巡っても甘く目標値を修正している。

■他には「自治基本条例」をめぐる修正では、24年度までを目標値としていた基本条例策定は「検討」にこれも格下げした。地方分権時代に標準装備である「市民が自治体と言う政府権力をコントロールする」(神原勝北海学園大教授)自治基本条例に極めて後ろ向きな現市政の姿を示した。等々色々あるが、後は是非、総務文教委員会(3月9日)予算委員会(3月15日~17日)で修正した行政の考えを含めて、基本計画をトータルに過不足なくチェックして欲しい。そうすることでダメな部分も含めて基本計画の精度を高めてほしい。絵に描いたモチにしないために。この辺は議会議論の報告を含めてまた書きます。

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―第25回中央公民館のつどい― (こまえ地方自治講座)
座談会「自治基本条例とは何か?」
~自治体の憲法と呼ばれる自治基本条例制定で何が変わるのでしょうか?~

‐記‐
■平成22年3月13日(土)夜6時~9時
■狛江市中央公民館・第2会議室
■ゲスト:橋本久雄氏(小平市議会議員)
■助言者:石井秀一氏(自治体総合政策研究所)
■資料代:200円程度(ご希望の方)
■主催:市民自治研究会(代表:清水信之3480-0306)

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2010年2月28日 (日)

基本計画答申自己診断(その3)

■完全に遅くなりましたが、2月20日の第23回地方自治講座には7名がご参加いただきました。「この基本計画で狛江の改革はどう進むでしょうか?」というテーマで検証作業を試みましたが、そういうポジティブな議論より、多くの課題が積み残されたままの欠陥商品ではないかといったネガティブな感想がまさった講座でした。もう少し前向きな夢のあるハナシとしては3月13日(土)の「公民館のつどい」の「座談会・自治基本条例と何か」に期待したいと思う今日この頃です。さて講座での皆さんとの対話を含めて、基本計画(最終答申)を総括的に自己診断すれば以下のような整理になるかと思います。

■①“行政の壁”~総合基本計画政策の不在と言う問題が一番大きな問題です。そもそも、今日の時代における「総合基本計画」の行政としての(前例踏襲以上の中身なき)「策定方針」の問題。今どき「20年構想」と「10年基本計画」と「5年実施計画」の三層の総合計画で良しとし、その理念部分(基本構想)のみを議決事項とする高度成長型で行政主導型総合計画政策を進めようという時代遅れの発想の行政。だから結果的に少し延長させたとは言え、当初は5回・4ヶ月が構想答申までのスケジュールだったのである。

■②“審議会の壁”~従って、人口減少・財政縮小時代のダウンサイジング計画・選択と集中の戦略的計画を立てるという目的意識性が欠落していれば必然的に「お飾り」「お蔵入り」の基本構想になってしまうことへの危機意識が欠如していたのか、行政主導に慣らされていたからか不明だが、結局「戦略性」の不十分な、「マイナーチェンジ」(山岡義典教授)の抽象論の総花的な構想を(パブコメよる一部字句修正の上)答申せざるをえなかった審議会の議論水準の問題が次の問題でした。

■しかも、一番の心残りは、(未消化・未分化の)構想の議決は「基本計画づくりを通じて深まり、追加修正の必要が出てきたらフィードバックさせて最終的に構想を完成させる」ことに審議委員多数が同意していた(つまり最終的な市議会議決を21年度ギリギリまで―12月議会か3月議会へ)はずなのに、これも前例踏襲で構想議決後の基本計画審議に行政がこだわり、そうした柔軟な策定手法はホゴにされてしまったことでした。

■そこから、戦略論なき総花構想に引きずられた基本計画策定作業は(5年前の市民分科会が5分科会で一年半かけたにもかかわらず)3分科会で守備範囲は拡大したのに、半年間という超短縮期間での仕上げを強要されたことから、結局各分科会相互の意見交換さえできず、その意味でも完全に縦割りの「行政の組織別中期計画」(パブコメ)という限界を持ったものにならざるを得なかったのでした。

■③“市議会の壁”~さて、「理念的・絵に描いたモチ」の構想のみを議決範囲としてきた歴史から、総合計画を通じた政策・事業のPDCAサイクル・自治体経営化、ひいては市民(議会)による行政のコントロールを可能とするため、先進自治体では自治基本条例などで構想部分と基本計画を(文字通り一本化する自治体も含めて)一体として議決事項としてきている。(佐藤教授も、基本計画の骨子だけでも構想議決の参考資料として提出すべきと発言していた)しかし、冒頭の行政の姿勢もあり市議会として基本計画をも議決案件とする決断までには至らず、従来どおりの構想のみの議決で終わったことが先ず問題だった。

■残された選択肢としては、構想のみの審議としても特別委員会を設置するなどして議会としての見識に踏まえたより高次元の議論に踏まえた修正補強は可能だったにもかかわらず、結局構想の計画期間を20年から10年に短縮するという小手先の修正で手打ちをしてしまいました。ここでの問題は、9月議会で揚げてくれないと次の基本計画策定作業が進まないという行政側の理屈に屈服したというよりも、正直なハナシとして、党派性が常に角を付き合わせている(ナショナルパーティの代理店の)狛江市議会の各派共、政策調整作業など元々ムリだよ、そんな手間ひまのかかる仕事はやりたくないよという判断が優先されたのである。

■あれっ!議会の最大の仕事って、議員が勝手なシングルイシュー(要請請負)を支持者向けにパフォーマンスすることが本筋ではなくて、自治体としての総合政策(長期計画)を首長との緊張関係のもとで総合調整することにあるのではないですか?そういう能力がなければ大統領制首長の前にはオネダリ、オール与党になってしまうのですよね。だから議会改革のイの一番が「自由討議」なのです。これまで「行政主導の質疑」しか想定されてこなかったという先進国に恥ずかしい実態を本来のヒロバに変える。それが議会(運営)基本条例の課題なのですよね。

■結局、この3月市議会の一般質問通告にも「新・基本計画」を課題とする議員が誰一人いないという有様です。議決事項でないとしても、今行政が最終調整している基本計画案(最終答申案)の出来具合を質すことなく、総花的とは言え向こう5年間の施策を拘束する基本計画にだれも触ろうとしないのでは、結局「行政(と市民)が勝手に決めた」として、基本計画の権威性は高まらないし、基本計画を通じた行政に対する市民・議会によるコントロールもいい加減になってしまうのではないだろうか?

■あれこれ悔し紛れに書きなぐりました。いずれもこれまで書いてきたこと以上ではありませんでしたが、今後のワタシ的には審議会参加を通じて深く勉強することとなった課題として「自治体基本条例」が辛うじて計画上頭出しできた(?)ことから、その市民議論を幅広い方々と共に組織して行きたいと考えています。

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2010年2月18日 (木)

基本計画最終答申自己診断(その2)

■昨日届いた愛読書「地方自治職員研修3月号」(公職研)の特集は「議論する組織」であり、一緒に届いた臨時増刊号は「施設マネジメントの再構築」だった。「議論する組織」の特集は昨年10月に公共政策学会と多治見市の開催による「公共政策フォーラム2009 in 多治見」に参加した自治体学会のメンバーの皆さんの「公正な政策形成プロセスにおける議論する組織」への論考集だった。執筆者を代表する多治見市の青山崇氏(会計課々長)はどう言っているでしょうか?以下抜粋ですが、狛江での基本計画(構想)づくりの議論過程に、こんナンデ良かったのか?果たして議論と呼べるものだったのかと自己反省しきりのワタシにとって大いに参考となりました。

■「地方分権の進展とともに、自治体は自己決定・自己責任が求められてくるが、それをスローガンで終わらせないためには、自治体が地域における総合的政策主体へと変革してゆくことが必要であり、その変革のためには、自治体が自らを律する(コントロールする)という理念が必要である。そして、このコントロールは、政策の発想から実行・評価までのプロセスにおいて、どういった『政策主体』がどういった『議論』を行ってきたのかによって明らかにされ、適正なプロセスを経たという『正当性』が政策そのものの『正当性』を高めるというのが筆者の『経験則』である」(‐地域民主主義のツールとしての議論‐)

■「多治見市のフォーラムでは、東京大学の森田朗教授が『これからは、マイナス部分を配分する時代であるが、その合意形成が課題である』と述べている。こうした時代の自治体の政策規範としての総合計画は、右肩上がりの発想による拡大計画は意味をなさなくなってきており、総合計画は政策の取捨選択のツールであるという認識を持つべきであろう。このことは、言うは易いが実行は困難を伴なう。今まで続けてきた施策・事業を計画の名の下に優先順位をつけ、不要不急なものは止めていこうということであり、痛みを伴うものである。しかし、総合計画をそういったものと認識できなければ、財源とリンクした実行性のある計画行政は不可能であろう。(‐総合計画という政策規範における議論の必要性‐)

■「では、議論において必要な要素は何だろうか?それは、情報の公開と共有である。前出のフォーラムにおいて福島大学の今井照教授は『アマ』と『プロ』という言葉でこの課題を指摘しているが『アマ=主権者』と『プロ=その信託を受けて政府を運営している議会・首長とその職員』と表現すると見えてくるものがある。主権者が判断する『材料』としての情報は、プロが圧倒的に持っているのであるから、プロは、アマを意識して情報を公開し、共有するという方向へ絶えずベクトルを向けていることが必要であろう。(市民・企業・行政といったセクター間の議論は、多くの場合言葉さえ通じないようで、あたかも『役所語』と『市民語』という言語で話しているような感がある。そこには通訳が必要となっており、ファシリテーションの重要性が認識される)」(‐議論に不可欠な要素‐)

■長々とかなりまどろっこしい文章を紹介させて頂いたワケですが、こういう自覚を持った自治体官僚(?)が我が狛江市にもいれば、基本構想・基本計画の議論にかくも歯軋りする思いを募らせなくとも良かったかもしれないナンテ思う今日この頃でした。ついでながら冒頭紹介した臨時増刊号のトップ論文は前出の森田朗・東大公共政策大学院教授の『ダウンサイジングの行政計画』でした。私の提案した「小さな行政と(大きな公共)」というキャッチコピーは変更を余儀なくされましたが、森田教授曰く-ダウンサイジングとは機能は落とさず、むしろ向上させつつ必要最小限の規模に縮小することだそうです。何度も言いますがココロザシある職員・議員なら「月刊・地方自治職員研修」は必読書ですね。

■基本計画(基本構想)の自己診断で、言いたいことは山ほどあって整理しきれません。「土曜日の講座」の皆さんの意見も拝聴してさらに深化させたいと思いますが、もし見られていない方がいたらと思い、私からの審議会への意見書を再掲させて頂くところから振り返ってみます。

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基本構想策定のための議論の枠組みについて
(2009年3月11日分科会)
狛江市総合基本計画審議会・市民委員 清水信之
1.構想策定方針について
第2回審議会冒頭でも述べたが、第1回審議会当日に配布された市の策定方針(審議会運営及び策定体制と策定スケジュール)は市民参加のあり方や審議日程など「市民不在・行政主導型」のものである。したがって第2回審議会においてそれを補強すべく「勉強会」や「市民討論会」が日程に追加された。
私は審議会そのものの日程をあと5~6回追加すべきだと思う。それがかなわないのであれば内部議論の「勉強会」(分科会?)を最低でも週1回程度行わないと4月23日最終審議会に間に合わないのではないかと思う。それでも4月23日以前のパブリックコメント手続きは不可能(3月30日第3回審議会で成案がえられるとは思えない)のような気がする。
「市民討論会」(シンポジウム・懇談会)も4月に1回程度では市政の最高指針「まちづくりの憲法」改定の主体である市民の参加プロセスとしては決定的に不充分だと考える。後半に「基本計画」づくりに65名の参加を予定しているといってもあくまで「施策分科会」という各論への参加であり、その前提の理念・柱立て(総論)を市民が共有して初めて生産的な施策レベルの議論が可能となるのだと思う。したがって「6月議会議決そして基本計画審議」ではなく、むしろ基本計画案策定を踏まえて構想の議会上程を考えるべきである。
場合によって、年度内で完結しなければ構想・基本計画に穴が開くなどということは役所の論理であり、あくまで総合計画策定の主体者である市民の参加を最大限担保することが行政の課せられた使命である。
2.現「構想」の検証・総括について
第2回審議会での「検証結果」は行政側の評価コメントに過ぎない。各種指標による検証を含めてあまりにも概括的・部分的で委員が時期構想の課題を充分共有できているとは思えない。例えば狛江市アクションプラン、まちづくり総合プラン、都市計画マスタープラン、緑の基本計画、環境基本計画、地域福祉計画(高齢者・障害者・子育ての各プラン)、商店街振興プラン・農業振興計画、地域防災計画、男女平等推進プラン、等の進捗・達成状況と課題について詳細とまでいかないまでも一定の資料に基づき各論に入った議論をすべきである。僭越ながら、そのためにも各分野からの学職委員が委嘱されているのですから。ちなみに、参考資料の主要行政計画策定状況22件の他にも教育委員会や市議会、市民参加協働政策、平和・国際交流政策、情報化政策等があり、それらについても具体的に検証と課題抽出作業をすべきである。
3.「基本構想の構成」の審議にあたって
私自身は、第1回審議会で基本構想(20年)・基本計画(前期後期各5年)の2層構造ではなく10年スパンの「総合計画」とする方が時代の変化に対応できると述べた。そうすることで事実上、基本計画部分まで議会の議決範囲とし、「構想」への正統性がより担保されると考えた。そのことは棚上げするとして、行政の構成案はほぼ前例踏襲型であり、現状への危機感と力強く狛江の将来を切り開く意欲を持った検討の跡は感じられない。これではこの20年間がそうであったように、策定しても「お蔵入り」となる危機感を感ずる。
「市民に分かりやすく」「成果管理しやすい構成」はそのとおりだが、そのために各自治体も工夫を凝らしている。私は他市の事例に学びヒントを得た。三鷹市や中野区、多治見市、北海道栗山町などである。それらの検討の機会もいただきたい。
4.各論「基本理念」(まちづくりの原則)
次に「基本理念」部分だが、狛江の「まちづくりの原則」という表現自体がハードの都市空間整備に傾いた印象を与えるし、そもそも「まちづくり」とは狛江市という自治体・法人格を持つ団体が行うのみがまちづくりではなく、地域の民間企業、自治会、任意団体等多様な主体を含めて行う公益的活動総体を指すと云われている。
この「まちづくりの原則」(4項目)の主体・主語が分かりにくく、狛江市(行政)と狛江市民の関係(役割)が見えないのできれいな表現だけど印象に残らない。また「・・・都市をめざす」と結語する文章は「将来都市像」と重複しているので余計インパクトが薄い。
対案だが、狛江市民が普遍的に共有できる理念を分かりやすく、主語を市民として表現できないか、例えば『狛江市民のねがい』『狛江市民の理想(目標)』のようなタイトルとし、その市民の共通目標(理念)とそれを踏まえた「将来像」は、これを忠実に実行しなければならない狛江市の市政運営の基本指針でもあると言う関係(基本構想という約束事を課す主体は市民であり、市民が行政を縛る信託関係)がにじみ出る構成とする。
とは言え、短い期間で狛江市民独自の「普遍的な理念」を共有することは簡単ではない。国の憲法理念や自治法など(平和・人権・自治)から抽出する方法もあるが、現在までの狛江市の公定化されている「市民参加・協働条例」や「まちづくり条例」などの理念を踏まえて作文することも考えられる。
5.「都市将来像」について
この部分は、総括・検証作業に踏まえなければ見えてこないが、どこの自治体でも人口減少・財政縮小時代への突入と地方分権による「地方政府」としての自立という課題が先ず大前提となる。そのため行政評価制度などを踏まえた行財政改革は強く意識せざるをえない。そこで自治体経営への視点、本構想・基本計画を含めた「計画行政」の視点、「新しい公共(空間)」と呼ばれる市民協働・民間との役割分担の視点などから「地域政府・地方政府」の「かたち」を構想しなければならない。
さらに団体自治だけでなく住民自治の姿も「自治のかたち」として踏まえなければならない。自治体の憲法と呼ばれる「自治(体)基本条例」「議会基本条例」といった取り組みが多くの自治体で進められている。私がモデルとしたいのは「多治見市市政基本条例」だがこの辺の議論も不可欠であろうと考える。
その他の各論で特に産業振興の分野は難しいがなんとしても芽だしをすべきである。前にも言ったが地場経済や中心市街地を持たず「ベットタウン」では自立「都市」ではないし、合併の嵐に飲み込まれてしまうのではないかという危機感がある。その他の各論は後日とする。
6.その他
3月17日を最終回として公共施設再編計画成案が出てくる。財政を意識し、選択と集中に

よる長期施設計画であり、公共サービスのあり方にも影響がある。直近の市民参加による

検討結果だけに充分たたき台とすべきである。

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議論の枠組みについての意見・その2 (3月30日第3回審議会)清水信之
すでに3月11日の第1回懇談会(勉強会)にて提出した意見書でも述べたが、差し迫ったスケジュールの現在、再度各委員の修正補強意見を踏まえて、必要最低限の議論として以下必要な項目を示す。
1、群馬「たまゆら火災」事件で浮かび上がった「介護難民」問題の狛江市での検証(1人暮らし高齢者・特養ホーム待機者・生活保護の高齢者などの実態)と将来の医療・施設問題、財源問題の予測など高齢者福祉の将来像の議論。
2、狛江ブランド?の緑に関して、緑地(農地・屋敷林など)の消失の見通し、生産緑地の買取申請の将来動向とそれへの対応問題などをしっかり把握して「緑」を語るべきではないか。
3、高齢化に伴い移動困難者の増大とコミニティバスやSTSなど福祉交通の対応等将来の地域交通政策のあり方、サイクルシティづくりなどの可能性の議論。
4、「公共施設再編方針」は「基本構想に反映させる」となっている。「報告書」の提起している視点は何か、そこには財政認識・公共サービスの優先順位など共有すべき内容があると考える。
5、基本構想に長期財政予測が欠かせない時代となった。S委員の提案は大賛成である。その長期財政予測を行政は示すべきである。
6、事務局案では「自治」「行財政」を後方に下げた。私(たち)の発想では第一級の課題と考える。そもそも「参加・協働」のステージアップを考えたとき先進自治体の「自治基本条例」への取り組みを議論から外せない。自治基本条例とは何かの議論を踏まえないで「自治のまち」は語れない。
7、そもそも「まちづくりの憲法」の策定主体は市民である。それが自治のカタチでありルールである。繰り返し述べているように、このままでは「行政主導・市民不在」の基本構想となり、市民議論がなければ誰も顧みない「お飾り・お蔵入り」の構想になる。策定スケジュール期間の大幅延長か、あるいは基本計画策定後に最終調整し上程すべきである。

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第3回審議会・資料1の「基本構想・事務局案」に対する意見
平成21年4月1日 市民委員・清水信之
■私の「構想」づくりへの考え方は「基本構想策定のための議論の枠組み」(3月11日懇談会)と先日3月30日にも追加の「議論の枠組みについての意見・その2」で表明したところである。30日審議会で企画財政部長から「6月議会上程に必ずしもこだわらない」旨の発言を踏まえて、審議会としては「基本計画づくりと平行して」か「基本計画づくりの後、基本構想へフィードバック」などの意見が出てきたことは半歩前進だが、依然として「フォーラムも計画したので、日程等もあり」の理由から事実上棚上げされてままである。こうした現状で構想案の文案作成作業に入ること事態が土台乱暴であり無理なのである。
■第2回懇談会(3月19日)に出された事務局タタキ台案に対して、各委員から修正・補強意見が寄せられた。私はまだ無理(議論未成熟)とは思ったが、文章化された各委員の見解をもとに本質的な議論に昇華させられればと考えたが、「それらを調整した事務局案」が出てしまい結局議論の糸口を封殺させられた。私の想いを込めた補強・修正案に対してもほぼなんのコメントもなく黙殺されたままである。従って再度の修正・補強意見を提出するつもりになれない。
■従って、市民フォーラム用とも言えるドタバタの事務局案を「中間報告・第一次構想案」として提案・発表すること自体に(一人歩きする危険もあり)責任が持てないし反対する。反対意見があったそのことは発表する際明らかにされたし。

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2010年2月15日 (月)

基本計画最終答申を自己採点する

■前回も“最後までゆるゆるの審議会”だったと自虐的なレポートでしたが、実は「総合基本計画審議会」の第1回が1年前の1月29日でしたが、その当初から審議会の不満分子でした。そのことも含めてナゼ駄目な会議体だったかは後で触れますが、先ずは成果物としての「最終答申」の仕上がり具合をザックリ自己採点してみたいと思います。

■先ずはパブコメでも厳しい指摘があった「総花的で選択と集中なきバラマキ計画」(具体性がない、絵に描いたモチ)だったかどうかの点です。このことは現在の民主党政権のマニュフェストに対してもよく言われる「財政の裏づけ」という問題が1つですよね。だから財政計画もセットで出すべきとのパブコメ意見もあったわけですが、そこは行政が(裁量で)このあと「実施計画(3年~5年)」で示しますという段取りになっています。出来たらそこまで審議会が仕切れれば良いのですが市民参加(制度)の水準の問題ですよね。

■さらに、「財政の裏づけ」が見えないのは、実はこれまで狛江市では中長期の財政計画を策定してこなかったという問題がありますよね。この基本計画案で初めて「財政の健全化-財務規律や財務基準を伴なう中長期の財政計画の策定」が盛り込まれたワケですが、財政民主主義、透明化が高まれば市民意識も「あれもこれも」から「選択と集中」へと議論も収斂されてゆくというワケですよね。

■次に具体的に施策ごとの目標とその工程が目に見える形で示せたかどうかですが、今度の計画から施策小項目単位で「成果指標と目標値」を示しています。これは遅ればせながらですが、行政評価制度による総合計画の進捗管理という大きな一歩です。少なくとも「現状と目標」を経年的あるいは5年後に検証できるわけですから。

■しかし、それでも「数値目標に裏打ちされた実行計画」との積極的な評価を戴けなかったのはどうしてでしょうか?それは行政に一任した(させられた)成果指標と目標値の設定の仕方の問題だと思います。成果指標は98項目ですがその内訳は「実績値指標」は41項目で残りが「アンケート指標」(市民満足度など)で57項目です。だから「アンケートでは設問の仕方で%は動いてしまうし、抽象的だ」との指摘になるわけです。ちなみに龍ヶ崎市では一つの施策項目ごとに実績値とモニタリング指標、アンケート指標などを組み合わせて合計285項目(清水がカウント)にわたって指標を設定しています。

■ナゼ「アンケート指標」を多用したかは、もうお分かりだと思いますが、あとは実施計画でという行政の裁量を残したかったからですよね。返すがえすも、この成果指標の設定をめぐってもっと審議会や分科会での議論が出来ていればと思います。最後に行政評価制度の専門家である(総合基本計画審議会委員)佐藤徹・高崎経済大学教授を委員長として「狛江市行政評価委員会報告書」(平成20年3月)が今次基本計画と評価制度の連携を制度設計したわけですが、その内容を再掲いたします。

■(新しい行政評価制度導入に向けた基本方針) 「平成22年度には総合計画の改定が予定されており、その改定に当たっては、これまでのような実現性も不確実で総花的な内容、から真に実現性を有する計画内容とする必要がある。そしてその計画の実現を担保するためにも行政評価制度の導入が必要である」

「新たに策定する総合計画は、まずは、現在の総合計画を、評価制度を通じて評価した後に策定されることが必要である。その結果を踏まえて、全ての計画目標を数値化することが必要である。これにより、成果・業績の進捗状況の把握と管理が可能なものとなる。つまり、評価制度との連携を十分に意識した戦略的な計画が新たな総合計画の基本的な性格といえる」

■如何でしょうか?お分かりいただけたと思いますが、前期の基本計画(平成17年度~21年度)に対する評価作業を通じて十分な検証が行われていれば、アンケート指標などばかりのあいまいな目標値設定でなく「真に実現性を有する計画内容」に近づけたはずですよね。ちなみに「総合計画」とは狛江市の場合、基本構想+基本計画(+実施計画)を指しますが、そもそも三層の総合計画が良いか否かの当初からの議論や審議会・市民分科会という(市民参加)のあり方、市議会の関与のあり方を繰り返し問題にしてきましたが、次回その辺も振り返って見たいと思います。今日はこの辺で。

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2010年2月11日 (木)

「タテ割り・バラマキ・総花的な基本計画案」?

■280件ものパブコメの意見に対して丁寧な議論が行われれば大いに計画案の精度が高まるはずと、審議会の延長戦を主張しても役所の言いなりの委員長には通じず、というか肝心の8名もいる有識者委員(公募市民は4名)が役所の味方のためか、それとも市民ではないからか不明だが、まったく腰の入らない有様(事前配布のパブコメを読んで会議に臨んでいたか疑わしい)なので充分このチャンスを生かせなかった最終審議会だった。

■前回書いた山岡教授の修正案をめぐる議論以外の、その他の各論でも私なりに問題提起したつもりだ。それはパブコメ意見の「財政切迫の折、選択と集中なき総花的で無責任なバラマキ計画だ」「施策項目が行政組織別のタテ割りであり、これでは組織別中期計画だ」等の(「小さな行政」削除を要求する大きな政府論とは対極の)真っ当な批判に堪えられる基本計画案か否かギリギリ問われなければならなかったからだ。

■そのひとつが私自身のパブコメ提出意見の保育問題だ。「自治体間競争時代の若年(子育て)世代の定着のための保育環境整備は持続可能な地域社会にとっての最大戦略環(公共施設再編方針策定委員長・根本祐二東洋大教授)であるはずであるが、『めざす姿-待機児童数の目標0人(現在75人)』としながらも、その取り組みでは『保育サービスの充実・保育施設の確保・・』と抽象的だ。しかし認可保育園定数が類似団体平均値から約500人と圧倒的に不足している構造的な問題(こまえの財政白書vol.2)をどう解決するか中長期の保育計画で描けなければ、待機児童ゼロは空語ではないか?と発言。

■これに対して専門委員の小野敏明教授(市民福祉推進委員会)は驚いたことに、実は保育定数と待機児童問題はイタチごっこだと言うのだ。(特養ホームと同じで、施設をつくれば待機児解消されるかというと、さらに需要が喚起される)公共施設再編方針では平成23年に(公設民営?)認可保育園を開設予定だが、したがってこれで待機児ゼロに解消できるわけもなく施策目標は空文句に過ぎないことを認めた上で『特定保育計画』が必要と述べたが、ここでも委員長采配は(時間がないなど)文案補強を積極的に指示しなかった。

■これも私からの指摘(パブコメ)だが、「こまバス」問題の背景にある「地域公共交通政策」の不備についてである。分権時代の基礎自治体の守備範囲の拡大の1つが地域交通政策(コミュニティバスなど)であるが、「こまバス」(生活交通)がカバーできない「福祉交通」として施設送迎(みどり号)やSTS(福祉有償運送や介護タクシー)の政策化が問われている。

■こまバス運行開始手続き(の場当たり)で設置した「地域公共交通会議」議長の杉浦委員にそのことを振ってみた。これも驚くことに当初こまバスで(ユニバーサルデザインだから)カバーできると見たが「みどり号」は障害者施設送迎として一台残さざるを得なかった実情を把握していなかったみたいだ。

■そこで文案補強の議論となったが、さて私の主張は未分化の交通政策(「公共交通の充実と利用促進」)に「福祉交通」概念を導入することだったが、委員間では行ったり来たりの議論が起こった。(地域公共交通会議の範疇ではないとする?)杉浦委員は障害者福祉の「障がい者の外出支援」として施策追加すべきではないかと言い、いや、都市基盤整備の「バリアフリー化の促進」の方ではないか云々する委員も。確かに現状は施設送迎もSTSも障害者福祉の所管になっている。文案調整は委員長一任の形となったが、まさに「タテ割りの弊害」を越えられなかった寄せ集め計画を曝け出した一幕だった。

■次にパブコメ意見の指摘で、「世界平和を希求するとともに暴力・暴言を許さない平穏なまちの実現・・」についてだが、「暴力なき平穏な街づくり」はどちらかと言えば都市基盤分野の「安心して暮せる安全なまち」の範疇であり、平和施策と災害・防犯施策を峻別すべきだという主旨の意見にナットクだったので私から取り上げ、修正することになった。

■もう1つ、今次基本計画の特徴であり、市民による施策管理・コントロールを可能とするツールとしての行政評価制度とリンクさせる試みについてであるが、初めて登場した「施策成果指標」と目標値の設定に多くのとまどいの意見が寄せられた。「・・・している市民の割合(意識調査)など曖昧なものでなく、実施件数や参加者など具体的な指標とすべきだ」等々。もちろん施策の成果は具体的な事業効果で計れるものが良い、ただし施策によっては「市民意識」の経年的実施によって計ることが適当なものもあるにはある。

■問題はこの指標設定の一部(財政健全化指標)を除いて、基本的に分科会・審議会での議論なしに行政側の独断で決定したことだった。結局、最終審議会でも各施策ごとの「指標」と目標値設定の妥当性を検証する時間もなく丸呑みするしかなかったのだった。

■(「指標と目標値に関するー現状値と目標値の基準」と佐藤教授の関与に関する発言について誤った記述があったのでお詫びすると同時に、この段落を削除いたします。2月21日)

■そんなワケで、残念ながら最後まで詰めの甘い“ゆるゆる”の最終審議会だったと言うしかない。最後に総括的なこの基本計画への私自身の評価・採点だが、少々疲れたので次回へ。


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2010年2月 9日 (火)

山岡教授VS清水の修正論争

■市の向こう5年間(22年度~)の政策実行計画である前期基本計画最終答申案を280件のパブリックコメントに対する検討と最終調整のための議論の場が昨日2月8日(月)7時より開催された。その大事な審議会に立ち会おうと市議会議員3名、基本計画策定論議に加わった市民分科会委員5名など約10名が傍聴に駆けつけていただき議論を見守ってくれた。

■そんな中、傍聴の皆さんの期待に応えて、レベルの高い、熱気ある議論が展開されただろうか?さぞかしこの程度かと失望されたのではないだろうか?なぜなら280件もの貴重な意見があり、中には議論不足で絵に描いたモチ状態の記述(素案)への鋭いツッコミがありながら、委員長(武藤法大教授)は今晩で(最終答申案を)上げる予定だからと、その精査を事務局任せにして議論を制限したからである。

■そんな中でも唯一議論らしい議論だったのが山岡教授(副委員長)の修正案をめぐる清水との全面対決の激論だった。それは前日記に書いたとおり、計画案の『小さな行政と大きな公共の実現』という新たな行政刷新の理念・キャッチコピーに対して、(分権改革を理解できない現市政擁護の)「大きな政府派」市民による「公共サービスの民営化路線だ」「究極的には行政不要論につながる」など削除を求める組織的な(10数名)パブコメ(中には素朴に「大きな公共」ってワカンナイというものもある)があり、それに屈服した山岡教授の「小さな行政」「大きな公共」「新しい公共」というキーワード・言葉づかいをやめようという修正意見をめぐってだった。

■山岡教授は、「小さな行政(政府)」は小泉政権用語であり、新しい公共は鳩山政権用語となっており、言葉が一人歩きし誤解を招く面があるので」と削除の理由を述べた。清水からは「重要な改革メッセージを変更するなら行財政分科会に差し戻して仕切り直す必要がある」「それに政権用語というが、『分権型社会における自治体経営の刷新戦略-新しい公共空間の形成を目指して-』(平成17年総務省・分権型社会に対応した地方行財政組織運営の刷新に関する研究会・座長岩崎美紀子)などの影響もあり、『小さな市役所と大きな公共』と言った元我孫子市長福嶋浩彦など、すでに地方行政の共通言語となっているのが新しい公共(空間)ではないか」と真っ向から山岡教授の削除案に立ちはだかった。

■これを巡って、中野委員(教育委員長)は「今後の財政(縮小時代)を考えたら『小さな行政』は的確な表現だと思う」と率直な意見。杉浦委員(狛江市地域交通会議会長・元東京都職員)は「基本計画で描くものは基本構想の理念の範囲を超えないほうが良い。『小さな行政』は少し踏み込みすぎかもしれない」と元役人らしいご意見。

■この議論、落としどころは、山岡教授の再提案で、「新しい公共」概念はキーワードとして残す、「小さな市役所」を文中に挿入し、タイトルとしては「大きな公共・・」から「豊かな公共空間の実現」に変更するという折衷案であった。ワタシも「スリムな市役所」でも「豊かな公共」でも表現のバリエーションはいくらでもあると前から言ってきたので妥協とした。確かにこのキーワード(「新しい公共」と「大きな公共」)には注釈(説明文)が必要ですよねと最終案に挿入された経過があるとおり、狛江市政の言葉では初登場という狛江市役所の行政文化の後進性があらためて浮上した問題でした。

■この激論の後にも各論で幾つかの未消化の論点が明らかになったこと。総括的にこの基本計画最終答申の仕上がり具合を採点してみたいが続きは乞うご期待。

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2010年2月 7日 (日)

「自治基本条例策定」の意味が分かっていない

■基本計画案パブコメに44名の方が意見を寄せていただき、その意見総数は280件であった。その中で一番多く同じ主旨の修正意見が寄せられたのが「行政運営の刷新」の施策小項目の「小さな行政と大きな公共の実現」への反論である。「基本構想に沿って『小さな行政』を『簡素で効率的な行政』とするべき。行政は小さいことが良いのでなく、効率的であることが必要である。『小さな行政』が行き過ぎると、行政の責任(本来の役割)を回避し、住民サービスの低下を招くことに繋がる恐れがある。『大きな公共』は言葉として分かりにくい」「ここで言われている大きな公共の本当の狙いは、公共事業を市場原理の中に投げ出すこと」などという主旨のもので13件あった。

■その次に多かったのが「財政の健全化」の施策小項目の「戦略的な目標値の設定」(地方債残高や財政調整基金の成果指標)に関するもので「目標値が定量的な数値でなく順位となっていることは適切でない。各市では状況が異なり比較することはできない」が12件、「指標・財政調整基金は、その性質上貯め目的のものでなく、指標として適切でない(市民要求を削ってまでため込むものではない)」が8件など、トータルで財政目標の指標に関する否定的な意見が26件、とここから見えるものは「小さな行政」や「財政健全化」への拒否反応である。

■その他、「全体的に総花てきかつ抽象的で具体性に乏しい。財政(計画)も踏まえて具体的に記述するべき」など多岐にわたる意見の中には大いに議論対象とすべきもの多くあるがとりあえず省略する。ところでこうした地方分権時代の自治体改革論なき「大きな政府」派市民の抵抗は想定内だが、一方で、一番ワタシをがっかりさせたのは「自治体としての自立と広域連携」の施策小項目である「自治体運営の基本的ルールの策定」つまり自治基本条例(議会基本条例)の策定に取り組むことを宣言したのに、280件中1~2件を除いてまったくそれに反応がなかったことである。(大きな政府派も含めて)

■自治基本条例の意義は何度も言わないが、分権改革・「地域主権」時代の地方政府を再定義することであり、その地方政府への市民による(憲法概念である)信託条項の一覧表如何によって自治や政府のカタチは様々なものとなる。だから「(地方)行政の責任や役割」の範囲も所与のものと考えるのでなく、公共空間の再設計として主権者である市民が決めることなのですよね。この、まさに地方政府の(自主)憲法制定作業を通じて「市民」の本格的な登場が期待できるというワケです。

■そこのダイナミズムを理解できないから、大きな公共(新しい公共・豊かな公共)の「意味がワカンナイ」のではありませんか?また人口減少・財政縮小時代の小さな行政(市役所)の必然性に抵抗するのは勝手だけど、スリムな市役所は同時に新しい(大きな)公共空間の戦略本部化(ルーティンワークは外注化)という大きな仕事(守備範囲)を担うことになるっていう自明の分権改革論を取り違えて「行政不要論に繋がる」などと曲解してはいませんか?と言いたい。ウーム批判になったか自信なし。明日の議論(審議会)のレポートで続編を・・・。

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2010年2月 6日 (土)

基本計画パブコメに「大きな政府」派の反抗

■「小沢騒動」ですが、結局は大山鳴動ネズミ・・・でしたね。この間息詰まるドラマを見せられながら国民も私も大いに学習しました。昨日の朝日新聞の宗形紀夫・元東京地検特捜部長はテレビ(サンプロ)で「必ず隠し球を持っているはず」だからと特捜を擁護してきたが、裏切られて「特捜の敗北」を語った。「見通しのない捜査」「政治資金規正法違反で簡単に逮捕できるとなれば、検察が議員の生殺与奪を握ることにならないか」と後輩達の暴走を叱った。

■宮台真二が言うように、権力の腐敗・巨悪を暴く「国策捜査」は必要だが、それがこのところ空振り・暴走していることの問題なのだ。同じ朝日の社会面(33面)で大谷昭宏が「国民から負託されている強大な権力」の行使への説明責任として「検察の説明責任」を問題にしていたように、検察(司法)官僚の劣化を国民がどうコントロールするかという問題ですよね。

■特捜の失敗の最たるものが、「劇場型捜査」(マスコミを利用)みたいだが、(今読んでいるところだが)「疑惑の総合デパート」の鈴木ムネオ事件も福島県佐藤知事汚職事件もほぼ冤罪事件だったし、リクルート事件やロッキード事件すら再検証の必要が言われている。「取調べ可視化法案」など司法検察改革が求められる所以である。

■ところでハナシを地元に戻しますが、市民が行政計画を通じて地方政府をコントロールしようという基本計画策定素案に対するパブリックコメントの資料(全文)が送られてきました。44人280件でした。やはり「詳しくは市ホームページにアクセスを」ではこの程度の数は仕方がない、とユーカ、争点情報・論点情報を出さない「戦略広報」の欠如の問題なのですがね。

■気になったのは、同じ主旨の修正要求が組織的に行われたみたいで、コメント発信それ自体は大いに歓迎すべきなのですが、文言も一緒で自分の頭で考えてない文章は議論を活性化させませんよね。残念ながらそれが「小さな行政・大きな公共」に対するアンチだったり、財政健全化数値目標(借金・地方債や貯金・財政調整基金)設定に対するアンチという「大きな政府」派というか行政依存・中央集権型の発想からの反駁でした。出かける都合で詳しくは今日中にも書きますが、この辺が2月8日(月)の総合基本計画審議会の中心論点ですので注目してください。

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