地方分権改革

2009年10月23日 (金)

悲しき狛江市の地方分権感覚

■鳩山首相が「必殺仕分け人」と呼ぶ「行政刷新会議」は95兆円に膨らんだ新年度予算概算要求の約3兆円削減を目指す、その手法が「事業仕分け」だ。ただし時間の制約もあり国の事業3千の内、240事業(約3兆円)をピックアップするに過ぎないがその廃止・見直し判断基準を普遍化させて予算全体に切り込みを入れるというシナリオのようである。構想日本の「事業仕分け」は地方の行革のツールとして開発されてきたものだが、狛江市議会などでも公明党・道下議員などが提唱していたのを思い出す。

■第3者(外部)によってオープンな場で「行革」を進めるその効果は否定しないが、そもそも首長も議会(市民)もお手上げだから第3者に依頼するしかないというなら自治の放棄でもある。現に狛江の公明党議員の質問を見る限り改革論というより、ドブ板型・個別要求路線の方が勝っている。だから「ごみ有料化」も「敬老金廃止」も自ら言ったことはない。断っておくがこれは公明党に限らず市議会全体の水準である。問題は行革論・構造改革論の拠って立つ歴史認識・理念・ビジョンである「地方分権改革論」の不在なのである。「選択と集中」は誰でも言える総論だが各論の何を削り何に投資するのか市長も議員も言えない。だから「基本構想・基本計画」の論議すら市民丸投げで主体的に加わらない(加われない)のである。

■「刷新会議」の事業仕分けで240事業に対して、廃止・見直し・民間開放・地方移管の仕分けが国民注視の中行われるという。政治の風景が確実に変わりつつある。枝野議員に期待大である。それはそうと「地方移管」等の仕分けは地方分権改革推進委員会勧告による分権改革のフレームを拡大・前倒しすることになり、自民政権で足踏みしていた改革は更に促進される。

■その「地方分権」と今後の市行政(の関係)について語り合ったのが21日の第7回基本計画第一市民分科会(自治・行財政分野)だった。本年前半の基本構想審議会でも私から「分権改革」(の動向)を理解せずして10年~20年先は見えて来ませんよと盛んに言ったけど、事務局スケジュールに従順な委員長采配で本格議論に至らなかった。(だから絵に描いたモチの「構想」に終わった)その先送りされたテーマを基本計画分科会が引き取ったのだった。

■分科会座長の山岡委員(法大教授)はともかく、多くの市民委員(当日8名)にとっては守備範囲を超えた荷の重いテーマである。(でもここを学習できなければ自治や行財政改革の明日の姿は見えて来ないのですから頑張ってね)その重いテーマを一層重くしてしまったのが、事務局(政策室)コメント(分権改革とは何か)だった。そこには(「分権改革の自治体への影響」として)『①自治体の自由度の向上=自治体の判断が広がることに伴い、自治体の創意工夫によって、地域特性に応じた取り組みが可能になる。自治体職員、住民の工夫、熱意などが活かせる時代になり、新たな取り組みがしやすくなる。②自治体格差の拡大=自治体の財政力や、まちづくりに向けた地域(行政、住民、企業等)の総合力などの強弱が、サービス内容やまちづくりの良し悪しに反映して、自治体格差が広がる可能性がある。財政的な理由で、サービス水準を下げる自治体も現れる可能性がある。』と書かれてる。

■皆様これを読んでどう感じられたでしょうか?単に分権のメリット・デメリットを並べ立てただけで、そこには我が自治体として地方分権を戦い取る、積極的に進めるという主体的な姿勢は微塵もみられません。実はこれが我が狛江市政(首長)の“分権改革度”なのです。主体的に受け止められてないのは、行政(役人)の立場からの被害者発想・既得権益擁護発想があるからでもあるが、最も肝心な理念である市民主権による「(住民)自治への挑戦」が理解できていないからです。だから「自治基本条例制定」へも後ろ向きなのです。

■ハナシを戻しますが、だから我が分科会メンバーの分権改革の受け止めも、三多摩で(あきる野市と狛江が)最悪の財政状況では「自治体間競争」の負け組みにならないか?例えば子育て環境の「自治体格差」により住民(若年世代)が流失するといった危機感が強調された。一方で、地方分権の「外圧」を受けて危機意識が醸成されることを期待したいので早く分権が進むべきだなど複雑な心境も吐露された。このようにやはりネガティブな分権認識に対して、私からは分権改革の「外圧」の内容を理解すれば「希望」が見えてくるはずだと応答したけどどこまで分かって頂けたでしょうか?

■民主党政権下で加速する分権改革を横目に見ながら、基本計画(5年)審議がいよいよ佳境に入る。構想が10年に修正され、基本計画も5年となったことはより実行計画の精度が求められることになる。そこで課題となるのが政策(施策)目標=評価指標・ベンチマークの設定である。例えば、新しい公共空間づくりの1つの指標がNPO法人取得数であったり、「水と緑のまち」の緑だったら「緑被率」だったりと具体的な数値目標を示すことで絵に描いた餅から市民への約束(市民からの命令書)となる。しかしこれを事務局(行政)に任せれば必ず総花的になり事業仕分けのような「選択と集中」は出来ない。

■ただし、市民委員が主導権を発揮するためには、そもそも行政評価制度とは何かから始まり、施策単位の評価項目と評価基準を設定するためには各施策・各事業の詳細に精通し、その改革方向・改革の物差し(優先順位付け等)が共有されていなければならない。そのための学習・議論は12月までの2ヶ月足らずでは不可能だ。したがって基本計画市民分科会とそれを総括する総合基本計画審議会を半年程度延長すべきである。そうでなければ市民がつくった基本計画にならない。このことを10月29日の審議会で主張したいと思っている今日この頃でした。
2009年10月23日(金)13:18

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2009年8月25日 (火)

民主党政権と教育委員会廃止

■狛江市での基本構想・基本計画改訂作業の現在について審議会の現場からレポートを続けていますが、9月市議会での基本構想案審議を横目に見ながら、その下位計画である基本計画(10年目標の5年計画)を三つの「市民分科会」でその前半の「頭だし」(項目出し)の議論が終わりつつある。ワタシは山岡義典委員(法大教授)と共に「まちづくり原則・行財政」の第一分科会(11名)に張り付き、他の審議委員はそれぞれ「都市基盤・環境・産業」の第二分科会(18名)、「福祉・教育」の第三分科会(18名)に入って議論に参加している。従って、自分の領域以外の議論の詳細は(傍聴もままならず)わからない。

■そもそも、基本構想審議で棚上げされたままの本質議論は基本計画づくりの段階で深めて行きましょう(しかしフィードバックは空証文だった)との会長(武藤博巳・法大教授)采配だが、年末までの短期間でそれが可能だとはまったく思えない。しかし可能な限り議論を起こさねば「お飾り」「美辞麗句」の計画になってしまう。基本構想審議の際も私から本年中の新地方分権一括法制定を含めて地方分権改革のフレームを理解しておく必要があると水を向けたが、武藤会長采配も含めてそうした議論は封殺された。(有識者ってコンサルか?)

■その地方分権を優先政策としている民主党の政権の下、改革は間違いなく加速する、となれば10年基本計画にも影響必至となる。前日記の社会教育論議もその脈絡で捉える必要があるが、それをトータルな教育改革として見てみたい。我が第3分科会(教育・福祉)では(基本構想審議でも無反応だったから)おそらくそこの議論には入れていない。民主党マニフェストの分権改革には「ヒモ付き補助金を自由に使える一括交付金」などが目立つが、「民主党政策集INDX2009」の「文部改革」の項には大胆な教育分権が掲げられている。

■その内容は以下である。「①現行の教育委員会制度は抜本的に見直し、自治体の長が責任をもって教育行政をおこなう。②学校運営は保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家などから構成される学校理事会による自主的な運営を基本とする。③学習指導要領を大綱化し、学習内容・学校運営を現場の判断で決定できるようにする。そして④中央教育委員会を設置し国の役割を基準行政に純化する。」(新藤宗幸・千葉大教授の要約)

■皆様にはこの改革の意味するところがイメージ出来ますか?ほとんどピンときていないかもしれません。これって『市町村教育委員会の解体』ですよね。実はこの改革論は肝心の民主党の地方議員でさえ充分咀嚼できていないのが現実だと思います。(政策集自体を読み込んでいるかどうかも怪しい)それほど教育改革論はマニュアックな世界のハナシなのでしょうか?そうではありません。民主党にとどまらずナショナルパーティの下請けに甘んじている地方議員の大半が地方分権改革(ビジョン)そのものを理解できていないからです。

■総選挙に先立つ東国原宮崎県知事と橋下大阪府知事の大立ち回りで「国と地方の協議機関設置」などがクローズアップされましたが、その背景に第二次分権改革に臨む地方6団体の改革論「分権型社会のビジョン」(平成18年・神野直彦委員長)が存在しており、ワタシラ地方自治関係者共通のバイブルだったわけですが、これもほとんどの地方議会議員に読まれていません。それほど「ドブ板・地元のパイプ役」「八百長と学芸会」の役立たずに劣化してしまっているからです。

■地方議会改革論は本筋ではないので横に置きますが、如何に分権改革を理解できていないかの象徴的な出来事は我が狛江市議会に例をとります。小泉政権時の三位一体改革問題の渦中の04年(平成16年)9月議会のことです。「義務教育費国庫負担金堅持意見書」が「農業委員会の必置規制堅持意見書」と共に採択されてしまったのです。(清水一人、「利敵行為だ」と反対討論に立ちました・市議会議事録参照)お分かりですか?知事会等地方6団体が一致してヒモ付き補助金廃止を要求し、文科省官僚と文教族議員に対決しているときに狛江市議会は教育委員会の小間使いをやって後ろから鉄砲を打ったのです。

■「政治からの中立」のためと称して、特別行政委員会の教育委員会を地方には必置させ、一方で中央政府は時の政権の文科大臣(政治家)が教育政策の実権を握るという空語、シカシテ文部官僚・族議員・教育委員・日教組まで含めた円筒行政が明治帝国憲法・教育勅語以来の官治集権の国家統治教育を依然として支えている。自治事務・現物支給サービスは地域が決定し、配給する方が効果的効率的であるという補完性原理にもとづく教育分権に対して文部官僚達の抵抗は熾烈を極めるだろうがこれこそ地方分権改革の本丸であり、地方自治関係者の分権度を計るリトマス試験紙ともいえます。

■だから中央の学校教育行政組織こそ内閣から独立した行政委員会とし、地方政府の総合行政の下に教育(の自由)を奪い返す民主党政策なら、例えば市町村が教員を独自採用し、ダメな校長がいたらすぐ罷免することが可能になるのですよね。文科省の厚い壁を破り、全国の「25人学級」の突破口を開いたのは首長である穂坂邦夫・志木市長のリーダーシップだったことを思い起こせば、すでに市町村教育委員会の形骸化と住民自治の下へ学校教育を取り戻す道筋はあきらかなのですよね。さて我が基本計画論議(市民分科会)で教育委員会改革まで議論を深められるかどうか?現・教育委員長の審議会委員のNさんと是非一度徹底議論してみたいと思う今日この頃でした。
2009年08月25日(火)14:28

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2009年2月11日 (水)

関口博市長の国立市政は大丈夫か?

■たまたま小耳に挟んだので、国立市の「財政健全化の方策(案)」(09年1月20日市報)を見ている。20年スパンの財政予測も資料に出ているで、我が狛江市基本構想議論の参考にと興味を持ったからである。ところで同じコンパクトシティで同じような財政状況の我が狛江市政も極少数与党政権(共産党)だが(私は自民との準オール与党政権と呼んでいる)、国立市政も与党は、共産・生活ネット・民主・社民・新しい風が11名で全体24議席だから厳しい市政運営を迫られているし、2期勤めた反戦・反住基ネットの上原ひろ子市長の後を引き継いだ市民派・関口博さんの政治的立場は狛江の矢野さんとかなり似ているという関係にある。

■その関口さんがかなり窮地に立っているのではないかと推測する。この新しい財政健全化計画に最大与党の共産党(4名)をはじめ、社民(1名)そして中間派無所属などがモーレツに反対を表明しているからである。(といってもブログなどのレベルの意思表明であり、民主・生活者ネットなどの態度は未だ見えていない)その争点は「保育園民営化」であり「ごみ有料化」さらに「長寿祝い金見直し」「下水道・国保料値上げ」などである。さて狛江の皆さんならお分かりでしょうが、これらはどこの自治体でも通過儀礼の「行財政改革のハードル」ですよね。(狛江の保育園民営化は棚上げのままですが・・・)国立市が今そこを迎えていることに少し驚いています。ウームこれを上原市政の負の遺産と考えるかそこまでがんばったと見るかですけどね。

■多くの自治体が財政非常事態宣言を出した平成15から16年(04年)、狛江も国立も緊急事態宣言を発して(場当たり的なビジョンなき)再建策を講じてきました。私の最後の議員任期の途中の市長選挙(平成16年夏)では現矢野市長へ批判的支持ながら「行革の火だるま突撃隊長」に志願したのを思い出します。生活者ネットワーク系の上原ひろこ前市長に直接面識はありませんでしたが、関口市長とはかって「市民自治をめざす三多摩議員ネットワーク」という無所属市民派系の約20名ほどの市民運動型?議員集団で一緒だったので多少お付き合いがある方です。その上原前市長の住基ネット接続拒否を理論的にも支えていたのが元プログラマー(技術系?)だった関口さんであり、同じ若手の重松クンだったと記憶しています。

■ハナシがあちこちですみません。実は今ナゼ「財政再建プラン」が再び浮上かということですが、ポスト「集中改革プラン」の時期なのです。平成17年から21年度までの5年間の総務省・新行革指針に基づく「集中改革プラン」の策定が全国一斉に「助言」されましたよね。当時の片山鳥取県知事が「そんなこと強制されるいわれはない」と拒否したように助言ではなく、相変わらずの「通達行政」の大きなお世話ナンですが、まあしっぺ返しを恐れてどの自治体も従った例のプランです。その目玉は「民間委託化」「職員給与・定数削減」「事務事業再編」などでした。

■私は与党体験を経て「火だるま行革隊長」に変身しました。(だから、ごみ有料化・敬老金廃止・保育園民営化の3点セットは改革の目玉と言ってきました)野党時代はシングルイシューを旗印で済みますが、「与党」はそうは行きません。総務省の「命令」でつくっ「集中改革プラン」(狛江ではアクションプラン)の背景には岩崎美紀子・筑波大教授らの「分権型社会に対応した地方行政組織運営の刷新に関する研究会」(総務省委嘱)の『分権型社会における自治体経営の刷新戦略』(平成17年3月)がありました。そのキーワードは「新しい公共空間の形成を目指して」でした。

■私達の目指すべき地域社会・自治体(経営)とは何かが問われました。平成18年11月には神野直彦委員長の「新地方分権構想検討委員会」(地方6団体によるプロジェクトで北川正恭・堺屋太一・榊原英資ら16名)が『分権型社会のビジョン・豊かな自治と新しい国のかたちを求めて』を国の新・地方分権改革推進法制定を前に発表しました。このビジョンこそ「新しい公共の形成」と共にワタシラ自治体関係者の当面のバイブルではないでしょうか。バイブルとまで言わないまでも自治体改革論の大きな流れとして基本的に理解していないと総論賛成・各論反対の愚(抵抗勢力)を犯しますよね。(その各論には今日は触れません)

■最後に私のかっての「三多摩議員ネット」の友人達にお願いです。国立の関口さんトコのピンチにどうぞ手助けしていただきたい。定例の学習会などで是非「国立市政の困難」を突破する改革戦略を議論して下さい。かって「運動圏と制度圏の区別」という議論をした覚えがありますよね。「国立の関口市政」を守れなくては三多摩・市民派の未来は期待できないとの思いで正面からの議論を期待します。(ちなみに国立市の財政予測も今日の金融危機不況による税収落ち込み等は勘案されてないだろうから、実際はもっとシビアなハナシになりますよね)
2009年02月11日(水)13:30

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2008年10月10日 (金)

「御名御璽」と官僚政治

■株価暴落など世界的な金融危機・景気悪化を受けて、総選挙の日程が少し先延ばしかなどと言われている中で、麻生首相・所信表明に始まる国会論戦を皆様どのように眺めておられるでしょうか?政権交代が懸かっているだけあってそこそこの迫力ではないかと民主VS自民の対決劇を時々見ていますが、少し気になったので自分のアタマの整理メモを残しとこうと思いました。

■まずは麻生さんの目一杯気張った「かしこくも御名御璽(ギョメイギョジ)をいただいた」発言には驚きましたね。最初ナンのことやらと思っていましたが、志位さん(共産)の代表質問などで批判があったので新聞の麻生演説全文をみたりしました。内閣総理大臣の任命は天皇の名において行われる国事行為だから、天皇の氏名・公印が付されること自体当然なことなワケだけど、あえて「かしこくも」(恐れ多くも)と「御名御璽」に言及する発想の問題ですよね。

■その延長に「118年の憲政の大河」とか「統治の伝統の・・連綿たる集積」とかの言葉を重ね合わせると、ああこのヒトの歴史理解は明治天皇制国家や大日本帝国憲法(体制)を肯定的に考えているのだなと伝わりますよね。麻生総理個人の歴史認識や政治思想をここで考察するつもりはないのでそれ以上のことを言うつもりはないけど、民主党との対決軸である「官僚政治からの脱却」と大いに関係してくるから問題なのです。

■民主・小沢代表の「所信表明」や管直人も「官僚まかせの膨大な税のムダづかい」を変え「税金を官僚から国民の手に取り戻す」ため、明治維新・戦後改革に次ぐ第三の革命としての「平成維新」を断行すると言い、ミスター年金の長妻議員も「官僚をコントロールできない自民党システム」による「ムダづかい五つの仕組み=ひも付き補助金・天下り・特別会計・官製談合・随意契約」を全て廃止するのが民主党だと述べている。これに対して麻生総理の「(官僚・公務員には)信賞必罰で臨む」は官僚政治への改革論が見えず、如何にも見劣りがする。

■さて、官僚政治からの脱却とはナニか?「汚染米事件」も「消えた(改ざんされた)年金問題」も官僚の腐敗の極めつけであり、モンスターのように肥大化した日本行政国家の明らかな劣化状態を示す事例(というより行政犯罪そのもの)ですよね。それでは日本に顕著な行政権の肥大化のメカニズムってドーなっているかといえば、先ずは「明治憲法が生んだ『無限大と無答責』」(「国民がつくる憲法」五十嵐敬喜等)という問題に突き当たる。

■(明治憲法下では)「行政は神でありすべての権限を持っている天皇が一手にこれを行うということでる。天皇は神であるが故にその仕事に限定がなく、またその仕事に責任もないとされたのである」これを無限大と無答責という。「戦後、現憲法は『行政権は内閣に属する』とした」「しかし、この戦後改革でも、明治憲法での行政権の『無限大と無答責』という理解は克服されていない」(同上)ここに日本の官僚(システム)の力の源泉が潜んでいることを先ずは理解しておかねばならない。松下圭一の「絶対・無謬・包括の国家主権観念(の残存)による官治集権政治」もこれに対応すると考えられる。

■その意味で麻生の「御名御璽」発言は大日本帝国憲法と不徹底な戦後改革がもたらしている日本版官僚政治の根っこである天皇制に対する擁護発言として解釈しなければならない。その上で官僚政治からの脱却には「議院内閣制」という国会多数派(与党)が立法、行政の二権を掌握し、そして最高裁判事の任命を通じて事実上司法を含む三権を握る独裁的な権力構造が、そのもとで官僚が圧倒的な力を持つことが出来るという制度自体の「大統領制(立法権はない)」への転換や国民投票制度など国民の直接意思が行政をコントロールする直接民主主義的改革が課題として浮かび上がってくるのである。

■最後に、官僚政治の究極の解体こそ補完性の原理による行政(権限・財源)の地方分権ですよね。つまり立法権・行政権は、国に独占されるのでなく自治体も自治立法権・自治行政権として市民から信託された地方政府に分節されて始めて、国家主権から国民主権(市民主権)の憲法(構造)を我がものとすることができるというワケです。さて次はマニフェスト対決を早くみたいですね。
2008年10月10日(金)17:25

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「せんたく八策」

■来年度に迫った「新地方分権一括法」だけでなく、民主党マニフェストの「廃県・置藩」の「地方政府300構想」は紛れもなく、明治維新・戦後改革に次ぐ平成革命だという時代認識にノーテンキな狛江市政は困りものですよねという確認をした第6回地方自治講座のレポートをしましたが、ただしこのまま「外圧」期待の「中央集権的(国にお任せの)地方分権改革」で良いわけがなく(三位一体改革の敗北を想起)、だから既得権益にしがみつく官僚や族議員から権限・財源を奪い取る主体的な運動が次に必要ですよねということを補足しようと思っていたら「せんたく」の提言が出たとの報道があった。

■「せんたく」とは「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」(代表・北川正恭前三重県知事)の略称であり、民間の政治改革運動体「21世紀臨調」を母体とし、政策本位の政治=マニフェスト推進と「脱官僚・脱中央集権」を目指し、来るべき総選挙を「政権選択選挙」とするキャンペーン団体だ。世話人には佐々木毅・前東大総長、西尾勝・分権改革推進委員会委員長代理、山田啓二・京都府知事らがいて、東国原・宮城県知事らも参加している。その提言「せんたく八策」が地方分権を高々と掲げているので添付しておきます。ご一読下さいませ。

■また現在この提言への賛同署名には三百名以上の知事等自治体首長、各級自治体議員等が応じているが、政党、立候補予定者にも賛同を求める予定とのことなので、お近くの政党・各級議員の(分権)改革度のチェックには使えそうですよね。ちなみに、地方の側(自治体・市民)からの主体的な分権改革論といえば、前にも紹介済みですが、「分権型社会のビジョン・豊かな自治と新しい国のかたちを求めて」(2006年・新地方分権構想検討委員会)があります。これは地方6団体の意見を集約して委員長・神野直彦氏(委員・堺屋太一、榊原英資等)にまとめ上げて戴いたワタシラのバイブルだと思っています。迫り来る分権改革で私たちの街・暮らしがどうなっちゃうの?とご懸念の向きは是非、この未来設計図にもアプローチされることをおススメします。

■余談だけど、この『八策』って例の坂本竜馬の長崎から京都へ向かう船上で書いたといわれる「船中八策」のモジリ(?)ですよね。そこには無血革命をめざした坂本らが、徳川慶喜に大政奉還をせまったもので、議会や憲法制定、海軍拡張などが盛り込まれ、明治新政府綱領・五箇条のご誓文にもつながり日本の近代民主政体の基になった革命綱領というワケですよね。北川さん西尾さんらの熱いメッセージに先ずはお目通しあれ。

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「せんたく(洗濯・選択)八策」

来るべき総選挙は、明治以来の中央集権型の統治構造を根本から改め、地域・生活者起点で国づくりを行う「真の政権選択選挙」にしなければならない。このため、われわれ地方は自己改革を行いながら、この国を「洗濯・選択」するため、以下八策を決議するものであり、志ある政党・政治家は立場を明確にし、賛同するよう強く求めるものである。

一策  天下の政権を官僚から国民に取り戻すこと。そのため、多様で自立した「地方政府を確立すること。また、憲法に中央と対等な「地方政府」を明記すること。
二策  中央集権型の陳情政治、バラマキ型の補助金政治と決別すること。そのため、国から立法権を含めて権限を移譲し、人材と税財源を地方に明け渡すこと。
三策  行政の無駄遣いをなくすこと。そのため、国の出先機関・外郭団体を廃止・縮小するとともに、国に対する国民監査請求制度を制定すること。
四策  首長は、裏金や隠れ借金などを明らかにし、徹底して自治体改革を断行すること。また、権力に執着するなれあい型の多選は自らの意思で排除すること。
五策  首長と地方議会は、あらゆる癒着を排除すること。利益誘導的な口利き・斡旋を禁止し、外部からの働きかけはすべて文書化を行い、不明朗な労使慣行を含めた情報の全面公開を行うこと。
六策  地方議会は、その役割、使命を根本から見直すこと。議会運営や政務調査費の使途を透明化し、議会基本条例の制定をはじめ、あらゆる改革に取り組むこと。
七策  地域・生活者起点の住民自治を確立すること。そのため、住民投票や住民参画の拡充により、住民が主役となる地域づくり・国づくりを進めること。
八策  政党・政治家は、国民との約束を守り、国民は、「おまかせ民主主義」を捨て去ること。マニフェスト選挙を徹底し、国民の「選択」による政治を実現すること。
平成二〇年九月二十八日
地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合(せんたく)「地方政府創造会議」
2008年10月01日(水)11:37

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2008年9月18日 (木)

五十嵐敬喜「憲法改正論」に脱帽

■フクダさんの前のアベちゃんが「戦後レジームから脱却」とかで「憲法改正」を高々と掲げ、現にその手続法である「国民投票法」を成立させたのが昨年の5月だったということさえすっかり忘れられていますよね。その頃のアベちゃんは大仕事をやり遂げた充実感でとても元気だったかもね。それはともかく、例のポスト福田の自民総裁選でもそうですが、すっかり憲法改正なんて政治の舞台の蚊帳の外になっていますよね。小泉改革の結果(?)としての「格差」や「消えた年金」を頂点とした年金医療不安そして不況など生活に直結するテーマの方が優先だろーというワケですよね。

■そんな政治の舞台から消え、誰も言わなくなった「憲法(改正問題)」をたぐり寄せようとしているのは「市民自治の憲法理論」(松下圭一)を暇つぶしに読んでいたことと、ピースボートでの出来事(情報公開・表現の自由否定の船内生活と「9条を世界に広めよう」護憲運動への疑問)がきっかけでした。ワタシラ(地方6団体)は地方分権改革こそがこの国の持続可能な発展の必須課題であり、分権型社会こそ「国民に夢と希望をもたらす新しい国のかたち」だと言って来た(平成18年新地方分権構想検討委員会・通称「神野委員会」)。

■だから国のかたちを定める「憲法」とその改正論議にも大いにコミットすべきなのだが、とかく地方分権がどこまで議論されているかという観点にとどまっていた。(それは改憲VS護憲の政治(政党)対立に巻き込まれたくないというギョーカイ的政治判断でもあった?)しかし、そういう消極的な態度では分権型社会(と国のかたち)のイメージも曖昧なままであり、国民に熱気を持って迎えられる分権改革運動にならないことを知らしめてくれたのが、五十嵐敬喜の「憲法改正論」だった。

■ご存知のように憲法改正論議が政治日程に上ってきたのが2000年の国会憲法調査会設置からであり2005年最終報告書(衆参)議決そして2007年改正手続法可決であった。これに対応して法大教授五十嵐敬喜は大学院「立法研究会」等を足場に2002年『市民の憲法』2005年『憲法改正論』2007年『国民がつくる憲法』を発刊して「改憲派」「護憲派」とも違う「憲法修正案」による「論憲」を世に問うたのだった。それは高野孟(インサイダー)との「市民版・憲法調査会」運動と連動した動きだった。ちょうど多摩の自由民権運動が「五日市憲法草案」を提起したように、市民(国民)にこそ憲法(改正)提案・制定権があるという発想からだった。

■憲法制定権力は本来国民にあるなら、ナゼ発案権が衆議院100名、参議院50名の議員(国民投票法)なのだ。「議会は憲法によって設けられた一機関に過ぎない。その議会が憲法をつくる(変える)ことができる理論的にはクーデターにも匹敵する越権行為ということになる。それでは誰が憲法をつくることができるのか、それは権力の最高保持者である国民に他ならない」さらに与野党伯仲の政治状況と国会発議の三分の二条項が改正論議を妥協的限定的にしている。だから「超国家」のEU憲法の時代に一国ナショナリズム発想しか出てこない。これが「囚われの憲法改正論」である。

■五十嵐さん達の議論は実に壮大であり明快だ。「アジア憲法構想」では、戦争をなくす道は国家の壁を取り除くことであり、「国家主権の超国家への委譲」(グローバル化は避けられない)と同時にEUがそうであるように「補完性の原理により地域への国家主権の委譲」が進む(これは松下圭一の「分節政治」に対応している)。「大統領制」「国民投票」について「二十一世紀の憲法は、ギリシャの直接民主主義から近代の間接民主主義、そして再び現代の直接民主主義へという2000年来の巨大な変化に対応するものでなければならない」との認識に基づいている。とにかく一度お読みいただくことをお薦めします。次はゆっくり『国民がつくる憲法』を読む。

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■こまえ地方自治講座(第6回)

■「分権改革委員会・第一次勧告を読む」
今年5月28日に政府に提出された勧告(40頁)の副題は~生活者の視点に立つ「地方政府」の確立~であり、「主として基礎自治体である市町村の自治権の拡充をはかる諸方策について勧告した」ものと云われている。今後「分権推進計画」策定にあたり、自公(民主党?)政権が官僚・族議員の抵抗を押さえてどこまで勧告を尊重するかはともかく、分権改革という「革命」が見えてないと地方自治の制度設計を誤ることになる。

■日時 9月27日(土)午後2時~5時             
■会場 中央公民館第2会議室
■連絡先 市民自治研究会 
狛江市岩戸南4-27-8清水信之03(3480)0306
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2008年09月18日(木)20:48

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2008年9月 2日 (火)

「教員採用汚職」考

■新学期を向かえた大分県下の贈収賄で懲戒免職や採用取り消しの先生を抱える小中学校の不安な表情をマスコミが追っていた。「教員世襲制」や「教員ムラ社会」って呼ばれる閉鎖体質は大分県に限らないから今後、例の高校の歴史未履修問題のように全国規模で問題が拡がるのは必至と見てますが、皆様はどう見ていますか?

■イジメ自殺事件への対応など、これまでも盛んにキョーイク委員会の無責任体質が指摘されてきましたが、まさに教育委員会幹部ぐるみの採用・昇任の不正(贈収賄)とは開いた口が塞がらない。「戦後最大の教育汚職」であり、まさに教育委員会制度自体を揺るがす事件である。

■問題の核心はどこにあるか?採用・昇任試験の密室性や馴れ合い体質やら教育委員のチェック機能不在を嘆いても事態はなんら変わらない。前から言っているように「教員人事権」や給与財源を含む権限が国や都道府県に集権されていることこそ問題の背景なのである。つまり本来市町村立学校の職員でありながら、人事(採用・昇任・異動)・給料を県に握られ、地域住民や保護者の目が届かないから透明性が確保できないのだ。

■「教育再生」の名の下で行われた教育基本法改正や教育再生関連3法による「再集権化」(中央集権化)の足元でこの事態が起きているのも不思議ではない。管理統制(文科省円筒行政の支社が県教委、出張所が市町村教委)を強化すればするほど、上だけを見て住民から遊離し自己責任の空洞化が進むだけである。

■5月の地方分権改革推進委員会の第一次勧告(生活者の視点に立つ地方政府の確立)でも教員人事権の市町村への移譲が打ち出されている。補完性の原理(教育・福祉・まちづくりの3点セットを基礎自治体の政策決定に委ねる)は地方分権改革の基本原則の筆頭であることも掲げている。この秋(?)の最終勧告を受け、来年度中には「地方分権推進計画」(と新分権一括法)が策定される運びだ。

■突然の福田政権崩壊で先行き不透明になりつつあるけど、「教育分権」を含めて地方分権改革こそ我が自治体のみならず、この国の生き残りをかけた避けられない構造改革であることを先ずは理解することから「地方政府」への第一歩が始まると考える。近いうちにこの「第一次勧告」の読み合わせなどを手がかりに「地方自治講座」を再開したいと考えている今日この頃でした。
2008年09月02日(火)10:37

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